生後9カ月、ぐずったあの日 記憶なくても被爆語る理由

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東谷晃平
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 【愛知】「ちょうどあの日は、こんな天気だったと聞いています」。広島で76年前に被爆した男性が名古屋市内の高校で、教室の窓の外、よく晴れた空を指さした。当時、生後9カ月。記憶はない。それでも、親族の死をきっかけに被爆の「体験」を伝える活動を続ける。

 金本弘さん(76)=名古屋市守山区=は、1945年8月6日、爆心地から2・5キロ地点で被爆した。15歳年上の姉妙子さんにおんぶされ、駅に切符を買いに行くところだった。妙子さんが、ぐずった弘さんをあやそうとした瞬間に真っ白い光に包まれた。泣き声も出さなくなって死んだと思われた弘さんは、通りがかりの男性が水槽につけ、ほおをたたくと泣き出した、という。

 広島の音楽大学を出て、名古屋の高校で音楽教員になった。自らが被爆者だと意識したことはなかったが、2008年に母ツネ子さんが96歳で亡くなり、同じころ健康診断で自分の白血球が通常よりも少ないことを知った。以来、原爆を「自分ごと」と考えるようになったという。

 12歳年上の姉千代子さんは…

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