被爆死したサッカー少年だったおじ 人生たどったおい

有料会員記事核といのちを考える

岡田将平
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 原爆ドームから北に約700メートル。新サッカースタジアムの予定地から6月、旧陸軍部隊の遺構が見つかったことが明らかになった。輸送を担った輜重(しちょう)兵補充隊の施設跡。この部隊にいた400人以上が犠牲になったとされる。広島が戦時中「軍都」だった証しだ。

 6日午前6時前、広島市南区の武鑓(たけやり)正勝さん(76)は、平和記念公園原爆死没者慰霊碑に手を合わせ、部隊にいて22歳の時に被爆死したおじ、岡田俊治さんの顔を思い浮かべた。会った記憶はないが、写真で見た姿は目に焼き付いている。「つらかっただろうな。生きていれば良かったのに」

 40年ほど前の夏。岡山県の実家に帰省した夜、おじの姉である母と一緒にテレビを見ていた。原爆の特集番組が流れていた。すると、母が「俊治も亡くなった」と語り出した。涙交じりに、祖母が自ら火葬したことなどを教えてくれた。

 何か残しておきたいと、武鑓さんはおじの人生をたどり始めた。休日を使って、親戚や友人を訪ね、資料を探した。浮かんできたのはサッカー少年の姿。旧制中学のサッカー部でフォワードとしてプレーしていたことがわかった。1944年に部隊に入る直前まで母校に行き、一人でドリブルやシュートを練習していたという。おじのことを本にまとめた。

 「もし生きていれば」。武鑓…

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