コロナに奪われた母との時間 聞きたかった原爆のこと

有料会員記事核といのちを考える

福冨旅史
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 広島への原爆投下から76年となる6日、広島市中区平和記念公園で平和記念式典が開かれた。「あの日」の広島を思う時、「あの人」が思い浮かぶ。手を取り合って逃げた弟、サッカー少年だったおじ、歌を聞かせてくれた母。どれだけ時間が経とうとも、忘れてはいけない記憶がある。大切な人の面影を通し、76年前の出来事と向き合う人たちがいる。

 あの日のことをゆっくり母に聞いてみたい。そんな時間までコロナ禍に奪われた。

 「今までお疲れさま。ゆっくり眠ってください」。広島市の会社員、大田陽二郎さん(60)は6日、遺族代表として平和記念式典に臨んだ。

 2月に95歳で亡くなった母の芳枝さんは、きょうだい4人と広島市中心部の広瀬北町(現・中区)の自宅にいた。爆心地から約1キロ。崩れた自宅のがれきで右足と首筋をけがした。近くで働いていた父が亡くなった。弟を捜して川のほとりを歩いている時に、「黒い雨」も浴びたという。「嫌な雨だった」「臭くて、べとべとしていた」……。大田さんが直接聞いたのはこれぐらいだ。

 芳枝さんは毎年8月6日、平…

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