「愛の不時着」のあのチキン これは韓国の現代史だ

有料会員記事

ソウル=神谷毅
[PR]

 「愛の不時着」では店内でサッカーを観戦して盛り上がる場面など、韓国ドラマには必ずといっていいほど登場するのがチキンだ。実はこれ、ドラマの中に商品が出てくる「間接広告」。チキンが暮らしに根付いた証しといえる。

ワールドインサイト

世界各地に根を張る特派員が、歩いて、見て、聞いて、考えました。ひと味違う視点で国際ニュースを切り取ります。ニュースレター「ワールドインサイト」は、有料会員の方にオリジナル記事をメールで先行してお届けします。

 新型コロナウイルスの流行で海外旅行にいけないなか、チキンを味わって韓国への旅行気分を楽しむ人もいて、日本での存在感も高まっているそうだ。

 韓国の知人に聞くと、「チキンは韓国の現代史だ」というスケールの大きい答えが返ってきた。動き続ける「韓国のいま」を、チキンという身近な存在からのぞいてみることにしよう。

 「チキン物語」をお伝えするにあたり、まず「韓国のチキン産業とは?」「韓国の人々にとってチキンとは?」という、ちょっと大きな問いから始めることにした。その後は主人公も探さないと。

「失業者の墓場」とも言われた韓国のチキン屋さんですが、近年ではIT化による変化があります。記事後段では、就職先を1年で辞めて起業し、月870万円を売り上げる24歳の店主にも話を聞きました。

 調べると、南東部の大邱で毎年、「チメクフェスティバル」が開かれていた。チメクとはチキンの「チ」と「メクチュ」(ビール)の合成語。

 フェスティバル執行委員長の朴俊(パク・チュン)さん(57)を、大邱郊外の事務所に訪ねた。朴さんは大邱で鶏肉の輸入業を営み、成功。今はチメクの伝道師として活動する業界の「レジェンド」だ。彼の一人語りに、しばらく耳を傾けることにしよう。

朴さんのレジェンドな話

 「韓国では1953年休戦の朝鮮戦争で、大邱や釜山に大勢が避難民として住んでいました。たんぱく質確保のため大邱に養鶏場がいくつもでき、鶏や卵だけを載せた『鶏舎列車』がソウルに向かった。当時は『トンタク』と言って、露店に大きな釜をしつらえ1羽まるごと油で揚げるものでした。

 60年代末に登場したのが『電気焼きトンタク』。ただ、70年代に2度起きた石油危機電気料金が上がり、衰退しました。安価な食用油が普及し始め、フライドチキンの登場です。

 84年に韓国に進出したケンタッキーフライドチキンは現在全国に200店余りありますが、一方で韓国の大手3社はそれぞれ1千店超もあるほど。競争の激しさが分かりますね。

 82年にプロ野球が開幕。88年にはソウル五輪が開かれます。経済成長を果たし、スポーツイベントでチキンを食べることが豊かさの代名詞となった。2002年の日韓共催のサッカー・ワールドカップのころ、『チメク』という言葉が生まれました。

 飲食店で最も多いのがチキン屋。大衆的で家族みんなでおいしく食べられる。幸せを象徴する食べ物なのですよ」

     ◇     ◇

 次に私は、「幸せ」を運ぶチキン屋の店主の取材を試みた。しかし、フランチャイズ本部の顔色をうかがうのか、なかなか取材に応じてくれない。

 ようやく1人と会う約束が取れた。名前は明かせないと言われたが、年齢は教えてくれた。仮にキム・チョルスさん(60)と呼びたい。今度はキムさんに、チキンと人生とのかかわりを語ってもらおう。

キムさんが黄金色に賭けた話

 「幼いときは母、10人の兄…

この記事は有料会員記事です。残り2032文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【10/25まで】スタンダードコース(月額1,980円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら