失意の天才少年は指導者も変化させた 久保建英がもたらした希望

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勝見壮史
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 試合終了の笛が鳴ると、ピッチ上にへたれ込んだ。20歳の久保建英(たけふさ)は、人目もはばからず大泣きした。

 「終わっちゃったなあと。自分が決めてれば、自分がアシストしてたら、自分がPK取ってたら、っていろんなことを考えましたね」

 6日の東京オリンピック(五輪)サッカー男子の3位決定戦。日本はメキシコに1―3で敗れ、1968年メキシコ大会に並ぶ銅メダル獲得はならなかった。

 試合後の取材エリアでは、冷静に試合を振り返るいつもの久保に戻っていた。「相手の方がいい入りをして、気持ちがあって、自分たちはそれが足りなかった」「(準決勝で負けた)スペインは格上でしたけど、正直、今日の相手は格上じゃないんで。それに3―1で負けたのは、すごく悔しい。でも、負けた自分が何を言っても、負け犬の遠吠えですね」

 1次リーグで3試合連続ゴールを奪った。だが、準々決勝以降は相手に厳しくマークされ、無得点に終わった。この日も、時に3人に囲まれた。「今日ぐらいの相手だったら、2、3人マークがついていても、はがして、フリーの選手にパスを出すとか、シュートを決めきるぐらいじゃないといけない。自分の頭で分かっていながら、まだそこまでのレベルになかったってだけだと思う」

監督をうならせた能力とは…

 試合直後、涙をこぼしたのは、本気で勝てると思っていたからだろう。「こんなチャンス、もうないと思う」。自国開催でメダルを逃したことを、心の底から後悔した様子だった。

 ただ、何も残らなかったかといえば、そうではない。久保の存在自体が、日本サッカー界に変化をもたらしているのだ。

 久保はサッカー経験者の父親…

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