「野球やれ」プロだった父は言わなかった 丸山敬太さん

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聞き手・長谷川陽子
写真・図版
ファッションデザイナーの丸山敬太さん=工藤隆太郎撮影
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おやじのせなか

 父はプロ野球の選手でした。丸山完二といって、1962年に国鉄スワローズ(現ヤクルト)に入団し、現役引退後はコーチや球団の編成部長もやって、野球人生を一つの球団でまっとうしました。

まるやま・けいた 1965年、東京都渋谷区生まれ。自身のブランド「ケイタ・マルヤマ」のほか、ドリームズ・カム・トゥルーのステージ衣装や日本航空の客室乗務員の制服なども手がけた。

 選手だったころは、遠征やキャンプで一年の半分は家にいませんでした。あまり接していなかったので、子供のころ、父のことは苦手で、どこか距離があった気がします。

 当時は本拠地の神宮球場に近い原宿に家族で暮らしていて、場所がら友達のお父さんが有名な写真家だったりお母さんがモデルだったり、クリエーティブな仕事をしている人が身近にいる環境でした。

 僕は野球にまったく興味が持てなくて、漫画やイラストを描くのが好きでした。中学生のころに高田賢三さんのファッションショーをテレビで見て感激して、将来はファッションデザイナーになりたいと思いました。

 高校を卒業して服飾の専門学校に行きたかったけど、親には反対されました。父からは「もっと広い世界で友達をつくるためにも、大学に行ったほうがいいぞ」と言われて、そのときは納得したんですよね。でも、ファッションをやりたい気持ちが強かったので大学は全然おもしろくなくて、結局1年でやめて、文化服装学院に入りました。父には事後報告でしたけど、そのときは特に何も言われませんでした。

 学校でファッションを勉強し始めたあるとき、父が「パリ・コレの番組、録画しといたぞ」って言ってきたんです。えっ、パリ・コレって言葉が出るなんてとびっくりして。ずっと父は僕のやっていることに関心がないと思っていたけど、すごく気にかけてくれていたんだと初めてわかりました。

写真・図版
ケイタ・マルヤマの服などを販売する「丸山邸」=東京都港区、工藤隆太郎撮影

記事の後半では、文化服装学院を卒業した後の道のりと「ありがたかった」という父のふるまいを語ります。

 父も、野球選手の息子がなぜ…

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