クライミング、裏方で支えた日本初の王者 野口啓代と世界回った日々

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 スポーツクライミングでかつて世界の頂点に立った男が、壁を見上げていた。裏方の一人として。

 「ルートセッター」という仕事がある。多種多様なホールドを壁に配置し、パズルを創作するように選手が挑む課題を作り上げていく。堀創(ほりつくる)さん(31)はセッターチームの一員に名を連ね、大会を支えた。

 少し前まで、自身も選手だった。

 高校卒業と同時に、プロクライマーになった。「ボルダリングのワールドカップ(W杯)で優勝した日本男子がまだいなかったから、『絶対に俺が』って」。夢をかなえたのは2011年5月。カナダで行われたボルダリングW杯で、日本男子として初めて頂点に立った。

 ただ、今よりずっと競技の認知度が低い時代だ。非五輪種目ゆえ、日本のメディアはほとんど報じなかった。当時の朝日新聞をめくっても、この快挙は1行も掲載されていない。

 クライマーとしての年収は当時、200万円に満たなかったという。「実家暮らしで、両親が支えてくれたっていう感じですね」。それでも、「サポートしてくれた人たちに優勝を報告できることが本当にうれしかった」。

 東京五輪代表の野口啓代(あきよ)(32)は同学年。同じ時代を戦った。「啓代さんと、監督と3人で世界を回った時期もありました」。堀さんがW杯を制した時、女子の優勝者は野口だった。

 選手とセッター。クライミングの五輪デビューを、2人は異なる立場で迎えた。「彼女はいろんな面で天才だったけど結局、努力の天才なんです。人一倍登って、練習量が断然多い。僕にはできなかったな」

 クライミングが五輪競技に決まったのは、16年夏。堀さんの全盛期は過ぎていた。2年後の6月、東京のW杯で45位。この大会を最後に競技者としては一線を退き、セッターに本格転身した。

 ほんの少しタイミングが違っていたら、日本のエースとして大舞台で立っていたかもしれない――。

 そう聞くと「そんなの、考えたこともないな」と困ったように笑った。「あきらめずにチャレンジしてみても面白かったかも。でも、今はこの仕事の方がずっと興味があるから」

 まっさらな壁にホールドを付けていく。想像もしていなかった選手たちの動きが、不意に生まれることがある。そんな瞬間が楽しい。「セッターのやりがいが、選手のそれに負けるとも思いません。単純にうれしいですよ。一生に一回、携われるかどうか。セッターとして良い経験になります」

 野口は現役最後の試合に東京五輪を選んだ。出場選手で最年長の彼女は6日、銅メダルをつかんだ。堀さんは若手セッターとして、その舞台を整えた。2人でW杯を制したあの日から、10年がたっていた。吉永岳央