大野雄大が夜空に掲げた金メダル「あいつに報告できてよかった」
東京オリンピック(五輪)で、悲願の金メダルを獲得した野球日本代表「侍ジャパン」。笑顔があふれた表彰台で、横浜の夜空にメダルを掲げた選手がいる。中日のエース左腕・大野雄大だ。それは、急逝したチームの後輩との約束を果たした瞬間だった。
後輩とは、中日の投手だった木下雄介さんだ。7月上旬の練習中に倒れ、3日に27歳で他界した。大野雄が最後に会ったのは、大会前のこと。その時、木下さんは「大野さん、金メダルを取ったら見せてくださいね」と声をかけてきたのだという。
「約束していたんでね。あいつに報告できたんで、よかったと思います」。表彰式後、大野雄は報道陣にそう話した。
7日の米国との決勝、大野雄は序盤からブルペンで肩を作っていた。本職は先発だが、今大会の役割は主に中継ぎ。実際、初登板した2日の準々決勝・米国戦は九回にマウンドに立った。死球は与えたものの1回無失点。慣れないマウンドでも結果を出せたのは、32歳が培ってきた経験のたまものだろう。
さらに、どうしても結果を出したいという気持ちがあった。大野雄は今季、チームで3勝7敗、防御率3・59と不安定だった。「それでも呼んでくれた首脳陣に、なんとか恩返ししたい気持ちでいっぱいでした。しんどいところでもやるという気持ちで、準備していた」。今大会は変則的なトーナメントで、勝敗次第では連戦もあり得た。先発の心構えをしつつ、目の前の試合の出番に備える――。そんな難しい役回りをこなした。
金メダルを巡る大一番、結局、大野雄がマウンドに立つ機会はなかった。それでも、日本代表をブルペンから支えたのは揺るがない事実だ。
木下さんからはどんな答えが返ってきた気がしますか――。報道陣に問われ、大野雄は言った。「『大野さん、よかったですね』と。今日登板していたら、あいつのことを思いながら投げたと思う。なかなか受け止められないし、受け入れられない。でも、全員で前を向いてやっていくしかない」(松沢憲司)
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