誰も知らない最後の試合 コロナにがん…天理に救われた

平田瑛美
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 1年前のきょう、高校球児たちの誰も知らないラストゲームがあった。

 昨年7月29日、奈良県高校野球連盟が主催した独自大会の3回戦。天理と戦った奈良朱雀(当時)のベンチに、背番号8のユニホームが置かれていた。ユニホームの主の姿はなかった。

 コロナ禍の昨年夏、戦後初めて全国高校野球選手権大会が中止に。県高野連はその代わりに、3年生を中心とするチームで戦う独自大会を開催。3年生の引退を飾る大会になった。

 ユニホームは、3年生で中堅手のレギュラーだった小笠原蓮(れん)さん(19)のものだ。試合の3日前、兄が新型コロナウイルスに感染した。濃厚接触者と認定され、出場できなくなった。

 「もし自分が陽性ならチームも出られなくなる。みんながずっとがんばってきたのを潰すことになる方が耐えられなかった」

 小笠原さん自身は陰性だった。春の県予選も中止で、3年生になって最初で最後の公式戦。強豪・天理との一戦ですべてを出し尽くすつもりだった。

 「やっぱり何で俺だけって」。野球に関係するものは遠ざけ、自宅のテレビ越しに試合を見守った。

 試合前、天理の中村良二監督(53)は、一塁側ベンチのユニホームに気づいた。「コロナのせいでベストメンバーでなく終わる3年生があってはならないのでは」。7―0で天理がコールド勝ちを決めた後、バックネットの前で奈良朱雀の主将を呼び止めた。「うちでよかったら、みんなそろってもう1回やらんか」

 10日後、天理の練習場で再び試合をすることに。知らせはすぐに小笠原さんに届いた。「自分だけ引退の場がないのはやっぱり心残りだった。ほんまにありがたかった」。気持ちが高ぶってバットを振りに外へ飛び出すと携帯が鳴った。「お前、先発やから準備しとけや」。テレビ通話の画面がチームメートの笑顔でいっぱいだった。

 8月8日、勝っても負けても最後だ。「一球一振りも無駄にしたくなかった」。1番で先発投手として出場し、途中から中堅へ。

 1―13で迎えた九回2死、ここまで無安打の小笠原さんに打席が回った。直球勝負に胸が踊る。力を込めた打球が左翼方向に大きく伸びた。

 「行け!」「入れ!」。天理ベンチからの大声援が聞こえた。目で追った打球はフェンス前でグラブの中へ。試合が終わった。晴れやかな顔で整列に加わった。

 小笠原さんの高校生活はこのままでは終わらなかった。野球部を引退後、消防士の試験を控えて健康診断を受けると、胸に6センチ大の腫瘍(しゅよう)が見つかった。がんだった。9月から約3カ月、抗がん剤治療を受けた。吐き気や苦しさで1週間ほど何も食べられない時もあった。コロナ禍で面会ができないなか、試合後に撮った写真が心の支えだった。

 「立て続けに悪いことが起きて、もし野球をちゃんと終われないままがんになってたら、気持ちの面で耐えられなかったはず。乗り越えられたのは、ほんとあの試合のおかげ」

 学校に復帰できたのは卒業式の3日前。チームメートとの時間を存分に過ごせたのは、天理との試合が最後だった。手術を経て快方に向かい、今は再び消防士をめざして専門学校に通う。

 甲子園の季節が巡ってきた。最終打席の声援が、今も鮮明によみがえってくる。(平田瑛美)