「念願」だった対ソ開戦 東京に送られた至急報のなぞ

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編集委員・永井靖二
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第1章「王道楽土」の裏側で 第3回

 中国東北部の満州。1941年8月2日の深夜、そこに駐屯する日本陸軍関東軍から、東京・参謀本部に至急報が入った。

 ソ連軍が満州の東部国境の一帯で突然、無線を止めたという。

 「スワ、極東ソ連軍に変状が起きた」と、大本営陸軍部の戦争指導班員だった種村佐孝(すけたか)は、著書「大本営機密日誌」(初版1952年)に記した。情報が本当なら、ソ連が満州へ攻め込んでくる前兆かもしれなかった。

 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線で、独ソ戦が始まって1カ月余り。日本もドイツにあわせて、ソ連へ攻め込むべきだという北進論が、陸軍内で勢いを増していた。

 満州では、通常の装備だった関東軍を臨戦態勢にするため、演習を装って80万人もの兵士を集める「関東軍特種演習」(関特演)が、最盛期を迎えていた。一方、海軍はインドシナ半島などへの南進を主張し、参謀本部はまさに決断の瞬間にいた。

 ソ連はドイツ軍にモスクワの手前まで攻め込まれていたが、極東の兵力は期待したほどには減ったように見えず、対ソ開戦が断念に傾きかけた矢先だった。こちらの意図を察したソ連が先手を打ってくるのではという情報に、緊張は一気に高まった。「真夜中というに、参謀本部の窓々は、こうこうと輝き、あわただしい人の動きでざわめいた」と、機密日誌はその様子を伝える。

 この件で「主役」とされる関東軍参謀の肉声が残っていた。軍事史研究を専門とするアメリカ人歴史家、故アルビン・クックス博士による戦後のインタビュー音源だ。

 「これを調べると、デリンジャー現象だということが分かった」

東京に送られた「無線封止」の狙いは。記事の後半では、「熟れた柿」が落ちるのを待つ関東軍が描かれます。

【動画】満州のスパイ戦 謀略の傀儡国家

「しかし無線封止って問題は…

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