第1回東京五輪、内輪の論理がたどる必然の帰結 小熊英二さん
コロナ下の開催に世論が分断されるなか、17日間にわたった東京五輪が8日、閉幕した。何を目指し、何を成し遂げられなかった大会なのか。歴史社会学者の小熊英二さんの寄稿は、戦後史の長い時間の流れの中に1964年と2021年を位置づける。
東京五輪が閉幕した。1964年の東京五輪との対比で、今回の五輪を歴史的に考えたい。
菅義偉首相は15歳だった64年東京五輪で、聖火リレー伴走者を務めたという。今年6月9日の党首討論でも、東京五輪で感動した記憶を熱心に語った。
東京五輪の印象が強いのは菅首相だけではない。読売新聞2011年3月21日掲載の世論調査では、「昭和の時代を象徴すると思う出来事」の1位は「東京オリンピック」だった。2位は「原爆投下」、3位は「バブル景気」。4位は「石油ショック」、5位は「真珠湾攻撃、対米戦始まる」だ。
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なぜ64年東京五輪は、これほど印象が大きいのか。それはこの五輪が、日本の国際社会復帰を象徴していたからだ。
日本は戦争で世界との国交や貿易関係を失った。52年のサンフランシスコ講和条約、56年の国連加盟を経ても、その影響は続いていた。たとえば外国為替取引は管理され、それを介して貿易や海外渡航も制限されていた。商用や留学など政府が認めた理由がなければ、外国へ行けなかったのである。
この状況が解消されたのが64年だった。この年4月、日本はIMF(国際通貨基金)八条国となり、為替と海外渡航が自由化された。これと同時に日本はOECD(経済協力開発機構)への加盟を果たし、「先進国」と認められる形となった。
コロナ禍で世論が分断された中、東京五輪が幕を閉じました。識者は今、どう考えているのでしょうか。寄稿やインタビューでお伝えする連載です。第1回は小熊英二・慶応大教授が1964年と2021年を対比し読み解きます。
つまり日本にとって64年は…
- 【解説】
小熊英二先生は日本を代表する社会学者であり、歴史の分野において大著を数多く執筆されています。膨大な資料に基づいた緻密な歴史分析は、右に出る者がいないと言っていいでしょう。僕も多くを学ばせてもらっています。「「私は社会と関係ありません」とか「
- 【視点】
「内輪ならあいまいに済まされていたかもしれない問題」が全世界に発信、可視化されたのが今大会の収穫なのかもしれません。 昭和からのやり手のおじさん達が相変わらず上にいましたが、今回あぶりだされたのは今まで成功してきたノリに含まれる「価値