第1回大田司令官の自死「貧困のどん底」 海を渡った娘の願い

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岡田将平
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 76年前の1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、一人の軍人が自ら命を絶った。「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ」との電文を発した海軍司令官の大田実海軍中将。広島県呉市にいた家族には戦後の人生が遺(のこ)された。故人への思いを抱えながら、子や孫がそれぞれの道でめざした「平和」とは何だったのか。

 ニュージーランドの首都ウェリントンの教会で今年5月26日、ある女性の葬儀が営まれた。日本出身のオーモンドソン大田昭子さん。90歳だった。

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沖縄県民斯ク戦ヘリ 遺された戦後 大田中将一家 それぞれの道

 若い頃を過ごした広島県呉市でニュージーランド人の男性と出会い、1953年に結婚。南半球に渡った。日本大使館で長年働き、日本文化や日本語を伝え、親善に尽くした。葬儀を取り仕切る牧師がその人生を紹介し、こう言った。

 「ピース・メーカー(平和の作り手)だった」

 葬儀で、思い出の写真が映し出された。その中に、昭子さんが現在の中学生にあたる女学生だった頃、両親と9人のきょうだいと写ったものがあった。セーラー服姿の昭子さんは後列の右側で少し首をかしげて収まっている。軍服を着て真ん中に座るのは、父大田実氏だ。

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夫や3人の子どもと写真に写るオーモンドソン大田昭子さん=ピーター・サザ-ランドさん提供

 葬儀の最後に、日本語の歌が響いた。「ふるさと」「赤とんぼ」。そして、もう1曲。

 ♪古いアルバムめくり……

 沖縄ゆかりの「涙(なだ)そうそう」だった。

自死した大田実海軍中将の娘、昭子さんは戦後、ニュージーランド人の男性と出会い海を渡りました。太平洋戦争の記憶がまだ生々しい時代、現地の人から心ない言葉を浴びせられても「平和」への思いを持ち続けました。

 昭子さんの三男ピーター・サ…

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    増谷文生
    (朝日新聞論説委員=教育)
    2021年8月11日15時41分 投稿

    【視点】 1998年8月15日、千葉支局員だった私は、大田中将について朝日新聞の千葉版に記事を書きました。  大田中将の生家を訪ね、長女と六女に話をうかがいました。お2人をはじめご遺族は、父が英雄扱いされることを拒んでいました。お2人はこう言いま

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