第3回「戦争を起こさない」中東で指揮、大田司令官三男の信念

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岡田将平
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 76年前の1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、一人の軍人が自ら命を絶ちました。海軍司令官の大田実中将。残された子や孫は、故人への思いを抱えながらそれぞれの道で「平和」を目指しました。今回は自衛官になった三男が登場します。

 軍艦マーチと海上デモの声が交錯する海上自衛隊呉基地。1991年4月26日、51歳になった1等海佐の落合畯(たおさ)さん(82)は掃海母艦「はやせ」で出航のときを待っていた。行き先は中東のペルシャ湾。湾岸戦争後、自衛隊にとって初となる海外任務の指揮官を命じられていた。

 その朝、呉市内の高校で教頭をしていた兄大田英雄さんが船まで見送りにやってきた。

写真・図版
沖縄県民斯ク戦ヘリ 遺された戦後 大田中将一家 それぞれの道

 「部下を死なすなよ」

 「よくわかっているよ」

 平和活動に力を入れていた兄と、落合さんは短いやりとりをした。頭にあったのは、家族から伝え聞いていた父の姿だった。

 32年に日中の軍隊が衝突した上海事変の際、大田実氏は現地で海軍の部隊を指揮していた。帰国後、街はお祭りムードだったが、実氏は沈み込んでいた。多くの部下が犠牲となったためだ。

父の最期の地・沖縄に赴任

兄英雄さんと呉でよく飲んだという落合さん。自衛隊をめぐって言い合いになると、決まって返した言葉があります。

 76年前、沖縄戦で海軍の司…

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連載沖縄県民斯ク戦ヘリ 遺された戦後 大田中将一家 それぞれの道(全5回)

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