第3回特高に追われた幼少時代 母の思い支えた父のノート

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編集委員・北野隆一
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 赤いポロシャツやスカートに身を包んだ女性たちが手をつなぎ、国会を取り囲んだ。2015年6月。安保法制に反対する抗議活動だ。赤い服装は、アイスランドで1970年代、「女の平和」と銘打って女性の地位向上を訴え、赤いストッキングをはいてデモをした運動にちなんだ。

 呼びかけたのは、元中央大教授の横湯園子さん(82)。赤いスーツで先頭に立った。「初対面でも『その赤い服、すてきですね』というのがあいさつ代わりで、ぐっと距離が近づきました」と話した。

 大学時代、60年安保反対のビラ配りをしたが、運動の先頭に立ったことはなかった。しかし2013年以降、特定秘密保護法や安保法制の成立を目の当たりにし、いてもたってもいられなくなった。幼いころの記憶がよみがえったからだ。

            

 41~45年ごろ、母の芹沢きみさんに連れられ、静岡県内を三十数回引っ越した。母が特別高等警察(特高)から逃れるための潜伏生活だったことは、後で知った。

軍国主義が広まった戦前・戦中にも、反戦を訴えたり、体制に異を唱えたりする人たちがいました。その足跡をたどると、思想や信条を自由に口にできない戦争の実相の一つが見えてきます。記事後半では、横湯さんの母が特高に追われることになった理由や、逃亡生活で負った心の傷を癒やした亡き父のノートの言葉などを紹介します。

 2歳から5歳にかけての記憶…

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