「百年後目をさます」 素粒子論の巨匠が残した「予言」

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勝田敏彦 石倉徹也
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 今年は、素粒子論の研究で2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎さん(15年死去)の生誕100年に当たる。先駆的な研究から「予言者」とも呼ばれた物理学の巨匠は今も尊敬を集めている。

生誕100年、企画展や著作再刊も

 大阪市立科学館大阪市北区)は今年1~3月、南部さんの生誕100年を記念する企画展示を開催。一部は6月に名古屋市科学館でも展示され、10~11月には、愛媛県総合科学博物館(新居浜市)にも巡回する。

 岩波書店も6月、やはり生誕100年を記念して和文論集「南部陽一郎 素粒子論の発展」を再刊した。

 南部さんは若いころ大阪市立大で教授を務め、晩年も大阪・豊中で過ごすなど大阪と縁が深かった。市立大にはノーベル賞受賞10周年を機に設置された南部陽一郎物理学研究所がある。研究所長の糸山浩司教授(64)は「先生はここで教職に就かれた後、渡米し、その後はシカゴ大に落ち着かれた」と話す。

 南部さんは1949年、同大で助教授の職に就いた。当時、母校の旧東京帝国大には素粒子の研究室がなく、若手研究者を募っていた同大から白羽の矢が立った。29歳の若さで教授に昇進。休職して米プリンストン高等研究所へ移り、研究生活の大半を米国で送った。

 ノーベル賞につながった業績は、シカゴ大教授だった1961年に発表した素粒子論における「自発的対称性の破れ」の発見だ。質量の起源を説明するための理論で、素粒子の振る舞いを説明する「標準理論」の源流になった。

「対称性は破れる」 標準理論の源流に

 素粒子クォークが6種類あることを示した小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授と、7月に亡くなった益川敏英・京都産業大名誉教授の「小林・益川理論」とともに、素粒子論への貢献が評価されて同時受賞となった。

 自発的対称性の破れは、紙の上に立てた鉛筆に例えられる。この状態は不安定で鉛筆はいずれ、倒れてしまう。倒れる前は特別な向きはなく対称性が保たれているが、倒れた途端に特定の方向を向く。素粒子の世界でも似たようなことが起きていて、物質が質量を持つことや超伝導などの振る舞いにつながっているという。

 このアイデアは、英国のピーター・ヒッグス博士らの研究に取り込まれ、標準理論で素粒子に質量が生じる仕組みになっている。物に質量を与える役割から「神の粒子」と呼ばれたヒッグス粒子は、2012年に実際に存在が確認された。提唱したヒッグス氏は13年、ノーベル物理学賞を受賞した。

 自然界にある4種類の力(重力、電磁気力、強い力、弱い力)をまとめて説明しようとする新しい理論にも南部さんのアイデアが生きている。アインシュタインも挑んだ難問だ。

 米国のスティーブン・ワインバーグ博士(7月に88歳で死去)らは南部さんの着想を生かし、電磁気力と弱い力はもとは同じ力だったことを示すことに成功。「標準理論」の根幹となったこの業績で、ワインバーグ氏も79年にノーベル物理学賞を受賞した。

「彼を理解するのに10年かかった」

 20世紀の物理学をリードした南部さんは、尊敬を込めて「物理の予言者」と呼ばれることもあった。ただ、先見性がありすぎたのか、すぐには理解されないことも。交流があった理論物理学者の故ブルーノ・ズミーノ博士はこう評した。

 「彼が今何を考えているかわかれば、10年先が読めると思い、長い時間話した。だが彼が言ったことを理解するまでに、10年もかかってしまった」

 益川さんも08年、ノーベル賞受賞後の会見で、「ずっと仰ぎ見ながら研究してきた南部先生と一緒に受賞できるのは、最大の喜びです」と声を震わせた。(勝田敏彦)

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 この記事で当初、南部陽一郎さんが大阪市立大を休職して渡米し、「プリンストン大」で研究したとしていましたが、正しくは「プリンストン高等研究所」でした。訂正しました。

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