植民政策の下、朝鮮愛した兄弟がいた いま向き合う生涯

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佐藤純
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 旧山梨県甲(かぶと)村(後の高根町、現在の北杜市)で生まれ、日本の植民地だった朝鮮に渡り、朝鮮の文化と人々を愛した兄弟の生涯を伝える北杜市の「浅川伯教(のりたか)・巧兄弟資料館」が、7月18日に開館から20年を迎えた。植民地支配にかかわるテーマに正面から取り組む公設のユニークな施設だ。(佐藤純)

2人で朝鮮へ 陶磁史や工芸品を研究

 資料館によると、兄の伯教は1884(明治17)年、弟の巧は91(同24)年、甲村の農家に生まれた。兄は教員をした後、1910(同43)年に日本が植民地にした朝鮮に13(大正2)年に渡り、弟が翌年、後を追った。ともに若いころにキリスト教に出会った。

 伯教は朝鮮陶磁史の研究に情熱を注いだ。訪ねた窯跡は朝鮮半島全域の約700カ所に上る。山野の緑化に取り組んだ巧は人々に慕われ、工芸品の研究にも力を入れた。兄弟は民芸運動で知られる柳宗悦と親交を重ね、24年には3人でソウルの景福宮に「朝鮮民族美術館」をつくった。巧は31(昭和6)年に病没し、ソウルに墓がある。伯教は戦後に日本に戻り、64年に亡くなった。

 資料館は、高根町が林野庁の補助金を含めて約4億5千万円でつくった生涯学習センター内にある。2004年の合併後、北杜市が引き継いだ。一昨年まで毎年1千~5千人が訪れた。700点余りの収蔵品の中から、459平方メートルの資料館スペースに貴重な資料や物品、兄弟の活動ぶりを再現したジオラマなどが展示されている。

14冊の日記 日本人の差別意識を批判

 巧が1922~23年に書いた14冊の日記は、日本の敗戦・朝鮮解放後に伯教から託された韓国人男性が大切に保管していた。96年に町に寄贈され、資料館をつくる契機になった。現在は複製が展示されている。

 23年9月の関東大震災の直後、巧は、東京と周辺で朝鮮人の放火で被害が拡大したとして多くの朝鮮人が殺されたことを知り、日記に書いた。

 「どうしても信ずることが出…

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