かつてサッカー場だったという場所は、無数の墓標で埋め尽くされていた。
「これは地元プロクラブのゴールキーパーの墓。その手前は部族長の墓。墓石はないが、あそこには赤ちゃんが埋葬されている」
イラク中部の都市ファルージャ。壁に囲まれた「殉教者たちの墓地」で、墓守のハサン・アハマドさん(47)が言った。
【連載初回】「105階から生還した男性の9・11 『叫び声、今も』」はこちら
米同時多発テロからまもなく20年が経過します。全世界を震撼させた同時多発テロは世界を、そして米国をどのように変えたのか。さらに、米国が始めた対テロ戦争は世界にどのような影響を与えたのかに迫る連載です。連載5回目では、アフガニスタンに続いて米国の対テロ戦争の舞台となったイラクに焦点を当てます。反米感情が渦巻く街で記者が見た光景とは。
雑然と並ぶ墓石を見ると、刻まれた死亡日に「2004年」が多いことに気付く。ある墓には、こう書き添えられていた。
〈2004年4月6日 米国の卑劣な攻撃によって殉教した息子たちが眠る〉
米同時多発テロをきっかけに「対テロ戦争」へと踏み出した米国は、アフガニスタンに次いでイラクを標的とした。
03年3月に開戦し、わずか3週間でフセイン政権は崩壊。その後は反米武装勢力が激しく抵抗し、ファルージャはその拠点の一つになった。
米軍は04年、ファルージャで民間軍事会社の米国人が殺害されたことや、「反米テロリスト」の駆逐を理由に総攻撃を仕掛けた。おびただしい数の市民が犠牲となり、仮埋葬のつもりで造ったサッカー場の墓地には次々と遺体が運び込まれた。その数は、04年だけで1600体近くにのぼる。
あれから17年。住民の話を聞いても、彼らには自分たちが「テロリスト」だったという意識はまったくなかった。
ファルージャに「テロリスト」はいたのか。記事後半では、当時、米軍が攻撃対象としていた国際テロ組織アルカイダとのつながりの有無などについて明らかにしていきます。
「9・11とイラクは何の関…
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