結局いつもの金メダル報道 内向きだった日本のメディア

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聞き手・小村田義之
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 コロナ禍という異例の夏に開かれた東京五輪が幕を閉じた。初の「テレビ五輪」となった1964年は国民の多くが熱狂したが、今回は様相が違った。その要因はどこにあるのか。メディアが果たした役割は何なのか。これからの五輪はどうなっていくのか。日本のメディアの歴史を研究し続けてきた佐藤卓己さんに話を聞いた。

五輪反対社説、国民感情を楯に出したように見えた 佐藤卓己さん(京都大学大学院教授)

 ――コロナ禍での五輪開催には反対の声も少なくありませんでした。朝日新聞は5月、「中止の決断を首相に求める」という社説を掲載しました。

 「5月下旬、信濃毎日新聞西日本新聞、朝日新聞の順に、五輪開催に反対する社説が出ました。3紙はいずれも戦前、政府や軍部と対立した歴史がある。信濃毎日は1933年、桐生悠々が書いた軍部批判の社説『関東防空大演習を嗤(わら)ふ』で知られます。西日本の前身の福岡日日にいた菊竹六鼓は32年の五・一五事件に際して社説で軍部批判をしました。大阪朝日は18年に掲載した記事を巡り、政府と対立した『白虹事件』が起きています。こうした記憶が政府批判の社説を書く踏み切り板になるとすれば歴史はやはり重要です」

 「ただ、社説が出る前から、五輪への支持率が低いことは世論調査で明らかになっていました。調査結果の報道前に書けば勇気あるオピニオン(輿論(よろん))だったと思いますが、国民感情を盾に社説を出したように見えました。世間の空気(世論(せろん))を反映しているだけだから大丈夫、という心理も働いていたように感じます」

 ――新聞は情緒的な世論を後追いしたように見える、と。

国民的な熱狂につながった1964年の東京五輪。実は当時も、必ずしも多くの国民が開催を望んでいたわけではありませんでした。今回の五輪と、何が違ったのでしょうか。そして、メディアが果たすべき役割とは。

 「いまはひとくくりにされて…

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