寅さん、今なら無理 山田洋次と映画の青春があった場所

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編集委員・石飛徳樹
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 松竹映画100年を記念した山田洋次監督の「キネマの神様」が全国公開されている。およそ半世紀前、日本映画が元気だった頃の撮影所の青春群像劇という過去パートと、年齢を重ねた彼らが閉塞(へいそく)感の中で生きる現代パートからなる作品だ。1954年に松竹大船撮影所に入った山田監督の、そして日本映画自体の青春時代の記憶がたっぷり詰まっている。山田監督に当時の思い出などを聞いた。

貧しいものしか出来ないんです

 主人公ゴウ(沢田研二)は酒とバクチで身を持ち崩した老人。妻や娘から愛想を尽かされている。そんなゴウも、かつては前途有為な助監督として撮影所を闊歩(かっぽ)していた。ある時、自分の脚本が会社に認められ、監督に昇進するが……。

 原田マハの原作小説を、山田監督と朝原雄三という松竹映画の名コンビが脚色した。過去の撮影所パートは映画のオリジナルだ。

 「『キネマの神様』というタイトルに引かれて原作を読んで、とても面白かった。映画に出来るだろうかと考えている時、松竹100年の映画を作ろうという話が来てね。だったら『キネマの神様』がふさわしいんじゃないの、と提案したんです」

 若き日のゴウ(菅田将暉)は学生運動が盛り上がった頃に大学を卒業し、映画界に入ってきた。彼は「ウチの会社が作り続けているメロドラマやホームドラマのベタベタしたセンチメンタリズムに、もううんざりしているんだ」と高説をぶったりする。

 メロドラマやホームドラマは、まさに小津安二郎監督を始めとする松竹映画の伝統だ。何よりも山田監督自身が得意とする作風でもある。

 「ああいうことは、当時の若者なら、僕を含めてみんな考えていました。観念的だったんです」と山田監督は話す。

 「家庭の小さな幸せを嫌い、自分たちで国を変えようと真剣に考えていました。日本人が元気だったんですね。だから、映画もテーマ主義でなければならない、と。それがむなしいと気づいたのは何十年も経ってからでした。テーマで作るとね、貧しいものしか出来ないんです」

 監督デビューしたゴウは斬新なアングルで撮ろうとするが、年長のカメラマンに反対され、自分の思うように作らせてもらえない。

 山田監督もデビュー作「二階の他人」(1961年)で、同じような経験をしたという。

 「僕も大先輩のカメラマンと組みました。今思うと、若い監督が考えることなんてチャチなんだよね。溝口健二みたいにワンシーンワンカットで撮りたいとかさ。一笑に付されるわけ。畜生!と思いながらも、僕は先輩に従ったんだけどね」

 山田監督は出来上がった自作を映画館で見て驚いたという。

 「ギョッとするぐらい僕の映画になっていたんです。カメラマンに言われるままに撮っちゃったのが自分では不満だったんだけどね。映画というのは、僕が想像したのとは全然違うものなんだということがその時に分かりました」

「あいつら、彼女の子分だったのか」

 助監督のゴウの周囲には、2人の気になる女性がいる。スター俳優の園子(北川景子)と、撮影所前にある食堂の娘の淑子(永野芽郁)だ。親友の撮影技師テラシン(野田洋次郎)と、4人でドライブに行く。ゴウと園子が2人になった時、園子が「2人で来たかったのに……」と思わせぶりなことを言う。

記事の後半では、「キネマの神様」で使ったモチーフと手塚治虫さんのアドバイス、48作に及んだ寅さんを撮り続けられた理由を山田監督が語ります。

 「ああいう経験は、若い助監…

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