無言で骨集め続けた友達の父 言えなかった「それ違う」

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川野由起
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 身近な人が亡くなった事実をどう受け入れるか。ある人は最期の言葉を交わしたかもしれない、ある人は遺体に触れ、ある人は本人の遺骨を受け取ったかもしれない。でも、災害や戦争ではそれがかなわない別れが起こりうる。原爆が投下された広島で、そんな経験をした女性に話を聞いた。

「あった」 声漏らした「秀雄ちゃん」の父

 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島市国民学校4年で9歳だった木内恭子(ゆきこ)さん(85)=埼玉県川口市=は、校舎代わりに使っていた銭湯「鶴の湯」の前で、友達と石蹴り遊びをしていた。

 ピカッ。辺りが突然、真っ白になり、気を失った。目を覚ますと、周りは真っ暗闇。がれきの上にいた。一緒に遊んでいた友達は見当たらなかった。爆心地から約1・5キロ。家族が無事なことは後で分かったが、「友達がみんないなくなってしまった。これからどうしたらいいんだろう」。

 数日経っても、街のあちこちで炎がくすぶっていた。建物は根こそぎつぶされていた。

 「鶴の湯を案内してくれ」。同じ官舎に住む同級生「秀雄ちゃん」の父親からこんな頼まれ事をされた。あの日、そこで遊んでいた秀雄ちゃんの行方が分からないままだった。

 銭湯があった場所は、無数の…

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