第4回校歌から消えた「自由」、校内誌に載った精一杯の抵抗

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津田六平
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 1941年12月8日、京都市の京都一中(現・洛北高)。全校生徒が集められた校庭での朝礼で、日本軍真珠湾攻撃を告げる臨時ニュースが流された。

 4年生だった稲垣真美(まさみ)さん(95)は朝礼の後、級友から「どう思う?」と尋ねられた。「やめたほうがいいね」。即答した。

 その晩、原稿用紙に短い小説を一気に書き上げる。

 軍国主義が住民の暮らしを壊しても革命で覆される日がくる――。そんな内容だった。

 短編は校内誌に載った。「一億一心」「大東亜戦争貫徹」といった上級生の勇ましい文章が大半を占める中、異彩を放っていた。

 当時、校歌にあった「自由」という歌詞が削られ、反戦や非戦を口にするのははばかられる雰囲気が強まっていた。海外文学が好きだった15歳も「この戦争は間違っている」とまで直接は言い出せなかった。

 比喩をつかって軍国主義を遠回しにいさめた短編が、精いっぱいの抵抗だった。

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