「満州は国家が崩壊する経験」 山室信一・京大名誉教授

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聞き手=編集委員・永井靖二
【動画】なぜ日本は「満州国」をつくり、そこで諜報(ちょうほう)活動を活発化させたのか。京都大学・山室信一名誉教授インタビュー=安冨良弘撮影
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第1章「王道楽土」の裏側で インタビュー編

 日本が中国東北部に侵攻した満州事変から今年、90年になる。なぜ日本は中国東北部をめざし、傀儡(かいらい)国家の「満州国」をつくったのか。そして、そこで諜報(ちょうほう)活動を活発化させたのは、どうしてなのか。「キメラ――満洲国の肖像」(中公新書)の著書で知られる京都大学の山室信一名誉教授に聞いた。

 ――満州に進出した日本の動機はどういうところにあったのでしょうか。

 根底にあったのは1890年に山県有朋首相が唱えた「主権線」と「利益線」という考え方です。主権線とは国境線のことです。資源のない日本が仮想敵国に対抗するためには、国境線の外側に利益線と呼ぶ勢力圏を確保する必要があるというものです。

 1910年に韓国を併合した日本は、その外側の中国東北部に利益線が必要となりました。関東軍の石原莞爾中佐の主導で、31年9月に満州事変が起き、中央の不拡大方針を振り切るように翌年3月に成立させたのが満州国です。

 さらに第1次世界大戦によって戦争が総力戦化し、これに対処するため中国での資源確保が課題となりました。他方、ソ連も社会主義体制を維持するためにモンゴル衛星国とし、長大な国境線を挟んで緊張関係が高まり、諜報戦が避けられないものとして激しさを増します。

 ――そのなかで特務機関はどのような役割を担ったのでしょうか。

 ソ連側は、通信の傍受や満州国内に情報提供者を作るなどの手法でスパイ活動を活発化します。それに対抗して関東軍は国境の守備を強化しますが、軍事的な手法以外にも情報収集とスパイ摘発にあたる特務機関を拡充します。

 第1次大戦では、毒ガス戦や細菌戦など戦争の形も劇的に変わりました。例えば、日本側はソ連の「細菌戦の組織図」とされるものを作っています。毒ガスや細菌兵器は1925年のジュネーブ議定書で禁じられましたが、相手が使うかもしれないという疑心暗鬼のもと、ハルビン郊外に拠点を置いた石井部隊(七三一部隊)が毒ガスや細菌戦の研究に手を染めました。秘密兵器の開発競争の中、こちらの情報がどこまで漏れているかを知ることも重要となり、日本が勢力下に置いた他のどこよりも満州国で、特務機関や憲兵隊の活動が活発化しました。

国籍法憲法なかった擬制国家の満州国。インタビューの後半では、日本が満州国に寄せた理念や結末について語られます。

【動画】満州のスパイ戦 謀略の傀儡国家

 ――多様な民族が暮らす満州…

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