コロナ敗戦から考える「危機の政治」と「政治の危機」 

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構成・高橋純子編集委員
【動画】考論オンラインイベント 「日本の知性たちが、政治、コロナ、五輪を語る」(8月21日開催)
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 「コロナ敗戦」「インパール2020」――新型コロナウイルス感染拡大への政府の対応や東京オリンピック開催に至るまでの曲折は、先の大戦になぞらえられることも少なくない。戦後76年の夏、長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)、杉田敦・法政大教授(政治理論)、そして日本近現代史研究で知られる加藤陽子・東京大教授の目には、いまの政治はどう映るのか。

「コロナ敗戦」の底流

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加藤陽子・東京大教授=安倍龍太郎撮影

杉田敦・法政大教授 「東京オリンピックが慎重論を押し切って開催され、新型コロナウイルスは爆発的に感染拡大しています。最近では、医療逼迫(ひっぱく)の中で病床を増やさずに、入院基準を厳格化して『自宅療養』を拡大するという危険な決定を、専門家にも、さらには与党にさえ相談せずに独断で行うなど、政府の強権的な姿勢が目立っています」

長谷部恭男・早稲田大教授 「医療資源が限られている中で『ない袖』は振れない、優先順位を付けようということなのでしょう。しかし、ワクチンなどの対策で収まるという希望的観測の結果、袖がないのに気づくのが遅れた上に、いろいろな対策のバランスをとるべきところ、通知の中身が入院基準の一点にしぼった硬直的なものだったので反感を買ってしまった」

杉田 「場当たり的な政府の対応については、『コロナ敗戦』、あるいは、無謀な作戦で多数の犠牲者を出した太平洋戦争末期になぞらえて、『TOKYO2020』ならぬ『インパール2020』などとネット上では言われています。近現代史を専門に研究されている立場として、どうご覧になっていますか」

加藤陽子・東京大教授 「やはり、エビデンスに基づいた政策決定が不得意な国なのだと思います。菅義偉首相が楽観論に流れて判断を誤るのは、もちろん彼自身の資質にもよりますが、日本の統治システムの『宿痾(しゅくあ)』であるとも言える。夏なので戦争の話をしますが、たとえば1941年の秋、東条英機内閣が対英米開戦を決定するさいに御前会議にあげた船舶の喪失予想データは、本来の専門の部署が算出したものではありませんでした。対英米開戦に前のめりの人物がその手下に命じ、なんと航空機による損害を含まない第1次大戦期のドイツの船舶喪失量から算出した、過小に見積もられた不適切なデータを御前会議に上げてしまうのです。専門家でない人物が数日間ででっち上げた数値の真贋(しんがん)を問える力を、御前会議に居並ぶ為政者の誰ひとりとして持っていなかった。おそらく今回の『コロナ敗戦』も、都合のいいことしか聞かなくなった為政者のもとに、叱られてもよいから、本当の正確なデータを上げる人がいないということなのでしょう」

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東条英機首相

長谷部 「最近、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの本をよく読むのですが、彼女は『重力と恩寵(おんちょう)』の中で、人間は執着に弱いと言っている。何かに執着すると幻想が生まれ、その幻想によって『きっとうまくいくはずだ』と自分の願望を正当化しようとする、人間とはそういうものなんだと彼女は強調しています。加藤さんご指摘の点は、これと同じメカニズムだと思います」

杉田 「菅さんはオリンピックに執着して、コロナもなんとかなるという幻想を抱いたと」

長谷部 「そう。執着によって何が現実かを見ることができなくなるから、正しく考えることも正しく判断することもできない。幻想の中で物事が回っていくことになります」

杉田 「哲学者のスラヴォイ・ジジェクが指摘していることですが、自分にとって都合のいい幻想を手放すのは難しい。反ユダヤ主義が典型的で、ユダヤ人の『陰謀』の事実などないことをいかに示しても、どこかに悪の『根源』を見いだそうとする人々は反ユダヤ主義にしがみつく。奇妙な比喩になりますが、日本では憲法9条について、同じような構図が一部見られます。9条のせいで日本は他国にナメられているとか、若者がだらしなくなったとか、ワクチンの開発ができなくなったなどという幻想を一部の改憲論者は手放さない。さらに言えば、国民というものもそうで、国民が『想像の共同体』にすぎないという指摘は正しいのですが、だからといって簡単に捨てられるわけではない。オリンピックの開会式でまた『イマジン』が歌われていましたが、国なんてないんだといくら想像してみたところで、日本が金メダルをとったらうれしいとか、自分が何もしていなくても『便乗』できる、共同幻想としての国民(ネーション)は実に強力です。そういう、幻想への執着の強さをどうすべきか」

8月21日に3人が語り合うオンラインイベント「〈危機の政治〉と〈政治の危機〉を考える」

 この記事に登場する長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)、加藤陽子・東京大教授(日本近現代史)の3人が語り合うオンラインイベント「〈危機の政治〉と〈政治の危機〉を考える」を21日(土)午後1時から開催します。朝日新聞デジタル有料会員の方は、このリンクからご応募ください。

加藤 「開会式といえば、私が不思議に感じたのは、菅さんがとても暗い顔をしているように見えたことです。コロナ禍とはいえ、権力者としては一世一代の晴れ舞台なのだから、『やってやった』という高揚感が見えてもよいはずです。安倍晋三前首相だったら喜びを表したのでは。無観客で事業収入が見込めないことからくる負債は最終的には国庫にまわってくるので、国がますます前面に出てこざるをえない。当事者は東京都だ、組織委員会だ、と逃げてはいられなくなる、そのような関係に気づいたのではないか……など、菅さんの思考を追おうとはしているのですが」

杉田 「安倍さんも開会式には来ませんでしたね」

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無観客で開かれた東京五輪の開会式。締めくくりの花火が周囲を赤く照らした=2021年7月23日午後11時49分、東京・国立競技場、朝日新聞社ヘリから、迫和義撮影

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宮内庁長官の「拝察」発言と天皇、そして菅首相

長谷部 「安倍さんと菅さんの政治手法は、構造的には一緒です。ただ安倍さんは、少なくとも一部の人にとってはアイドル=偶像だった。テレビに出て歌ったり踊ったりしているアイドルと同じです。観衆が自分の思いや願いを投影し、自分のために歌ったり踊ったりしてくれてるんだ!と意味づけることができるから、アイドルはアイドルでいられる。しかし菅さんは違いますね。そもそも何を言っているのかよくわからないから意味づけることができない。開会式で暗い顔を見せるなんて、アイドルだったら絶対にやらないでしょう」

加藤 「安倍さんの『魅力』の一つは、ある集団に『反日』などのレッテルを貼り、『安心してたたいていいんですよ』と名指ししてくれるところだったと思います。日本学術会議についても、既得権益である、貴族であると、任命拒否に手をたたいて喜んでいた人たちがいました。アイドルというのは本来、自分が汗をかいて人の気持ちを意味づけるわけなので、安倍さんは言うなれば『亜アイドル』、疑似アイドルなのではないでしょうか」

杉田 「アイドルということで言うと、天皇はどう位置付けたらいいでしょう? オリンピックがコロナ感染拡大につながらないか『ご懸念されている』と、宮内庁長官が天皇のお気持ちを『拝察』していましたが」

長谷部 「天皇はアイドル=偶…

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