1964年東京パラをたどる 職を持つ選手、日本は1割

藤田絢子
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 東京・九段下にある戦傷病者史料館「しょうけい館」には、1964年東京パラリンピックを記録した貴重なカラー映像が残っている。大会が間近に迫り、前回の東京大会のことを知りたくて13日、同館を訪れて特別に見せてもらった。

 約25分の映像には、開会式の様子のほか、車いすで卓球バスケットボールをする約20カ国370人ほどの選手の姿が映っていた。厚生省(現厚生労働省)と、脊髄(せきずい)損傷者の療養施設である国立箱根療養所(現国立病院機構箱根病院)が企画・制作した映像だ。

 日本の参加選手は53人。19人が箱根療養所から選ばれ、そのうち2人は第2次世界大戦で負傷した戦傷病者だった。

 ナレーションでは、日本と世界の障害者の生活についても触れていた。193人が回答した選手アンケートでは、海外選手の半数近くが職をもっていた。日本選手は5人で、およそ10人に1人。さらに、6割強の海外選手が車を所有していたという。

 同館の北村明事務局長は「当時、日本では障害者は日陰の身だった。世界の様子を目の当たりにし、日本の障害者の生活やスポーツの転換期になった大会だったのでしょう」と話す。

 水泳とフェンシング団体で銀メダルに輝いた青野繁夫さんは戦傷病者の一人。選手宣誓では「パラリンピックを機会に、多くの人に現実を理解してもらい、政治や世の中が変わっていってほしい」との思いを込めたと、北村事務局長は資料を基に教えてくれた。

 あれから57年。日本代表254人(10日現在)の中には、戦争が原因で障害を負った選手はいない。平和への感謝と同時に、障害者を取り巻く環境はどう変わったのだろうかと考えた。(藤田絢子)

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 東京パラリンピック開幕まであと10日。史上初となる同一都市で2度目の大会直前のさまざまなシーンを描きます。