捕虜収容所の所長だった祖父 手記につづられた降伏の時

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東野真和
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 「命がけで俘虜(ふりょ)を守って来たのだ」。第2次世界大戦中、岩手県釜石市にあった捕虜収容所の所長を務めた稲木誠さん(1916~88)が書いた、終戦から1カ月間の手記が同市郷土資料館に寄せられた。県独自の緊急事態宣言が解除されれば、同館での公開も再開される。終戦で逆転した関係や敵味方ない心の触れあいが記されている。

 「今は何を考える力もなくて、眠りに落ちていった」。手記は「降伏の時」と題し、終戦した8月15日のこんな心境から、全捕虜を送り出した9月15日までの経過が原稿用紙132枚に書かれている。稲木さんはB級戦犯として巣鴨プリズンに5年半拘置された。手記は、孫でニューズウィーク日本版記者の小暮聡子さん(40)が稲木さんの実家で見つけ、同館にコピーを提供した。

 釜石市には捕虜収容所が2カ所あり、約400人ずつ、6カ国の捕虜が収容され、製鉄所などで働かされていた。45年7、8月の艦砲射撃で沿岸部の収容所が全焼し、捕虜32人が死亡した。

 「降伏の時」は、29歳だった稲木さんが収容所の移転地を探すさなかに天皇の玉音放送が流れるところから始まる。連合軍の兵士は監視から保護の対象に変わった。脱出する兵士もいれば、一緒に風呂に入ろうと誘う兵士もいた。オランダ人軍医の助言で捕虜も収容所職員も健康が改善されるなど、敵味方を超えて接していた様子もわかる。

 稲木さんの罪状は、艦砲射撃

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