自由大学ができ1世紀、長野で考える 歴史に学ぶ必要性

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北沢祐生
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 100年前、長野県内で上田(信濃)自由大学が生まれた。大正デモクラシーの時代に、農村青年らは学ぶことを渇望していた。だが、その学問はやがて弾圧の対象となり、その先にある無謀な戦争へ日本は突き進んだ。戦後76年、歴史と真摯(しんし)に向き合うことの大切さを、改めて自由大学発祥の地から考えたい。(北沢祐生)

「誰かに言われたから投票するのではない」

 「学問の中央集権的傾向を打破し、地方一般の民衆が其産業に従事しつつ、自由に大学教育を受くる機会を得んがために、総合長期の講座を開き、主として文化学的研究をなし、何人にも公開することを目的と致します」。1921(大正10)年11月1日に開講した上田自由大学の設立趣意に書かれた冒頭部分だ。

 自由大学に詳しい、上田小県近現代史研究会長の小平千文さん(78)=上田市=は「青壮年を中心にした地域民衆が生み出した、自己教育運動(生涯学習)。市民による学問創造の運動だった」。

 上田自由大学の設立に協力した、哲学者で評論家の土田杏村(1891~1934)=佐渡島新潟県)出身=も「我々は本当に学問を民衆のものにしたいのだ」と呼びかけた。京大で「善の研究」で知られる西田幾多郎の教えを受けた土田。設立趣意書の起草者でもある。

 この西田を招いて哲学の講習会を開き、土田を巻き込んで自由大学を作っていったのが地元上田の青年たちだった。当時の上田小県(ちいさがた)地域(1市30町村余り)では「青年らが新しいことを積極的に地域社会に入れようと動いていた」と小平さん。村ごとに青年団が新聞を出し、ありのままを表現する児童自由画運動、農民美術運動が展開され、小県哲学会が誕生した。

 中心になった金井正(1886~1955)や山越脩蔵(1894~1990)らは、家業の養蚕で得た財を自由大学などにつぎ込んだ。25歳以上の男子すべてが選挙権を持つ普通選挙法施行直前の時期。山越はその将来を見据え、自由大学構想を描いていた。

 「せっかく勝ち得た選挙権を、拡張された選挙民が果たして有効に行使できるまでに成長し得るか疑問だった。一朝一夕になし得る問題ではなかろう。永久の課題であり、対策を考えねばならない」。そんな思いの山越が土田に講演依頼の手紙を出したことで、自由大学構想は実現へと向かった。

 「誰かに言われたから投票す…

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