訪れる人いなくなった慰霊碑 特攻機墜落の山中を探した

藤家秀一
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 愛媛県今治市玉川町の山中に、訪れる人がいなくなって久しい戦争の慰霊碑がある。終戦から76年。かつて慰霊碑を訪ねたことがある市職員らの記憶を頼りに、山深くにある慰霊碑を探した。

 手がかりになったのは、10年前の2011年8月に発行された「広報今治」に載った「特攻隊員殉職の地 ハナビラ渓谷の慰霊碑」の記事。1945年5月19日、悪天候で香川県の基地に引き返す途中だった海軍特攻機が、今治市玉川町の山中に墜落した。乗員3人のうち、学徒出陣の22歳の2人が亡くなったという。慰霊碑は旧海軍出身の有志らによって66年に建立されたとある。

 10年前に当時の市広報広聴課で広報をつくった市社会教育課の馬越健児さん(58)に現地を案内してもらうことになった。3年前の豪雨の影響が心配だという。馬越さんの広報広聴課時代の上司で、玉川町に住む越智憲行さん(67)にも同行をお願いした。

 慰霊碑があるのは、松山市との境界に近い今治市南部の玉川町龍岡上地区。10年前に慰霊碑を訪れた馬越さんと越智さんの記憶を頼りに車で細い山道を登り、沢にかかった「鳴野橋」のそばに車を止めた。ここからは沢沿いに徒歩で慰霊碑を目指すという。

 ある程度の覚悟はしていたが、慰霊碑までの道のりは険しかった。最初は針葉樹の人工林が広がる林道が続いて歩きやすかったが、途中からは木の根につかまりながら斜面をよじ登るような道が続いた。足元が崩れたり、毒蛇のマムシに2回も出合ったり、ひやひやの連続だった。

 歩き始めて30分。沢を見下ろす斜面に、慰霊碑があった。高さ1メートル、幅25センチ、厚さ12センチ。つつましい大きさの石柱で、正面中央に「特攻隊員殉職の地」とある。その右に「海軍中尉 川橋圭祐」、左に「海軍少尉 箕内澄夫」と刻まれていた。

 馬越さんと越智さんが、慰霊碑の周りに積もった落ち葉を払いのけ、用意してきたカップ酒や缶コーヒーを供えた。越智さんが「今日こられたのも何かの縁。よかった」とポツリと言った。最後に線香を手向け、3人で手を合わせた。

 馬越さんが集めていた、慰霊碑に関する資料一式を借りた。亡くなった川橋さんは東京帝国大学、箕内さんは早稲田大学に在学中だった。地元紙の記事によれば、少なくとも93年ごろまでは遺族が参加した慰霊祭が営まれていたという。

 「広報今治」の記事をあらためて読み返した。「戦争の記憶が風化しつつある今日ですが、後世へ語り継がなくてはならない事実がここにあります」。馬越さんらが10年前に書いた末文は、さらに重みを増している。(藤家秀一)