元高校教諭、訪ねた兵士の碑466基 刻みも時代の変化

森直由
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 大阪府内で出征記念や慰霊のため、神社や公園などに建てられた「兵士たちの記念碑」をまとめた本「兵士の碑(いしぶみ)」を元高校教諭、森田敏彦さん(78)=大阪市天王寺区=が出版した。森田さんは実際に現地に足を運び、空襲の慰霊碑などを除いて、府内で計466基の碑を確認した。(森直由)

 森田さんは府立高校で日本史などの教諭を務め、2003年に定年退職。その後、大阪観光ボランティアガイド協会で大阪市内のガイドを始めて、各地に碑があることに気づいた。「戦争の体験者が少なくなるとともに、『もの言わぬ語り部』である碑の大切さが増していくのではないか」。そう考え、2016年から約4年間かけて調査した。

 日本は明治以降、多くの対外戦争を経て、全国各地で碑が建立されるようになった。国立歴史民俗博物館が2003年にまとめた報告書によると、碑は全国に1万5942基、府内には357基あり、まずはこれを足がかりに調査を開始。報告書と照らし合わせながら現地に足を運んだり、各地の自治体に問い合わせたりして補った。

 確認できた466基の中では、西南戦争(1877年)の碑が最も古かった。村や町から従軍した兵士の名前が刻まれ、日露戦争(1904~05年)に関するものが大半を占める「戦役記念碑」▽1920年代後半から増え、戦死した兵士を「神霊」としてたたえる「忠魂碑」▽太平洋戦争の後に建てられ、戦死者を追悼する「慰霊碑」――の大きく3種類に分かれていた。

 太平洋戦争後の碑には、「悲惨」「戦死」などという文言も刻まれるように。大阪市鶴見区には、上部に「戦死」という文字だけが大きく刻まれた碑がある。下部に35人の名前が記され、1949年に遺族が建立したとされる。森田さんは「『慰霊』や『英霊』ではない言葉に、深い悲しみと無念の思いが強く迫ってくる」と話す。

 貝塚市の「傷痍(しょうい)軍人之碑」には、「戦争の悲惨さを体験しその後苦難の生涯を続けてきた」などと刻まれている。

 本では466基の住所や建立年、大阪市内の碑を巡る九つのウォーキングコースなども掲載。森田さんは「碑を調べることは兵士たちに思いをはせ、その死を褒めたたえるのではない。悼み悲しむことを通して、二度と戦争を繰り返してはならない思いを固める手がかりになる」と話す。

 一方、2018年に大阪市内で撤去された碑があることにも触れ、「地域で世話をする人がいなくなるなどして、管理不良のため損壊したり、状態がよいにもかかわらず撤去されたりするケースも出てくるのではないか」と指摘している。

 本は税別1800円。問い合わせは清風堂書店(06・6316・1460)。