「生理が辛い」女学生の困窮 相談したい母は生死不明で

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丸山ひかり
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 「生理が本当に恨めしく、辛いと思いました」。さいたま市内の図書館で戦争体験者の文集を読んでいて、そんな一文に目がとまった。生理が、戦後に書き残すほどにつらい記憶になったのはなぜか。彼女の思いを聞きたいと、訪ねた。

軍優先、一般人の入手が難しくなった脱脂綿

 下半身に湿った感じを覚え、恐る恐る下着を見た。赤い血がついていた。

 「これが、そうなのか。一体、どうしたらいいの」

 1943(昭和18)年、新潟県立村上高等女学校2年生で、当時14歳だった小野寺八重子さん(92)=埼玉県草加市=は、寄宿舎のくみ取り式トイレでうろたえた。女性に生理があると何となく知ってはいたが、対処法は知らなかった。

 「古雑誌の紙を破って手でもんで、股の間に挟んだんじゃないかしら」

 使い捨てで、血をたっぷり吸収する紙ナプキンはまだない時代。専門家や資料によると、脱脂綿などをあて「丁字帯」や「月経帯」でおさえる女性が多かったが、脱脂綿は軍隊の利用が優先され一般の人は入手しにくくなっていたという。

 生理のたび使い古しの布を繰り返し洗い使ったり、紙をあてたりしてしのいだ。「ひと月に一度でもしんどかった」と繰り返す。

「せがれの嫁に…」 目の前で心ない会話

 でも生理がつらかったのは、物資不足だけのせいではない。相談したかった母を含め、家族の生死が分からなくなっていたことも胸に重くのしかかっていた。

 当時、家族はフィリピン・ミンダナオ島のダバオという地域にいた。

 新潟の農家の次男だった父は…

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