市民を襲撃、殺害したなどとして殺人罪などに問われた暴力団・工藤会(本部・北九州市)のトップ2人への判決が、今月24日に福岡地裁で言い渡される。数々の凶悪な事件を起こし、全国で唯一「特定危険指定暴力団」とされた工藤会。その組織を率いる総裁・野村悟被告(74)とはどのような人物なのか。関係者への取材や公判での証言、捜査資料などから浮かび上がる実像に迫った。
〈工藤会による市民襲撃4事件〉1998年に北九州市で元漁協組合長が射殺されたほか、2012~14年に同市と福岡市で元福岡県警警部、看護師、歯科医師が襲撃された一連の事件。工藤会トップで総裁の野村悟被告とナンバー2で会長の田上不美夫被告が、犯行を指示したとして殺人罪などで起訴された。
朝。被告が起床して邸宅2階から下りてくると、防犯カメラのモニターがある待機室で待っていた幹部らは一斉に廊下に飛び出し、並んで正座する。「おはようございます!」
北九州市小倉北区の被告宅では、こうした光景が毎朝繰り広げられてきた。「本家」と呼ばれる邸宅は大きな石垣や塀に囲まれ、地元の人が「城のよう」と話す威容だ。
公判で証言した傘下組長は、総裁としての野村被告を「象徴。神みたいな」と表現した。別の法廷で被告とともに所得税法違反の罪に問われた工藤会幹部は「天皇」とたとえた。
法廷で見る被告は、白髪交じりの短髪で、たいてい黒っぽい色か紺色のスーツ姿。毎回、裁判長らが座る席に向かって一礼する姿は、折り目正しくさえ見えた。
「一晩の稼ぎ、最高は2億円ほど」
法廷で語られた証言や捜査資料から、生い立ちを振り返る。
1946年、小倉市(現在の北九州市小倉北区)に生まれた。広い土地を持つ裕福な農家で、3人の兄と2人の姉を持つ末っ子。幼い頃は三つ上の姉に面倒を見てもらうことが多く、「姉ちゃん、姉ちゃん」と慕ったという。
少年時代は悪友と非行に走り…