天陽くん一家もそうだった 「昭和の屯田兵」は「棄民」
「なつぞら」の「天陽くん」もそうだった――。
76年前の敗戦前後に、戦禍を逃れ北海道に渡り、開拓を試みた人たちがいた。戦争と国策に人生をほんろうされた元開拓者たちは今、何を思うのか。
約束の沃土 全部がうそ
1945(昭和20)年9月8日。
14歳だった鵜澤希伊子(うざわきいこ)さん(90)=東京都調布市=は、父母と祖母、2人の妹、1人の弟とともに、帯広駅に降り立った。幅が広い道と、低い家並み、初秋というのに冬のような寒さだったことを、今もよく覚えている。
一家はその4日前まで東京にいた。現在のJR飯田橋駅付近にあった釣り道具屋を営む実家は、4月と5月の空襲で焼けた。生きていくためにめざしたのが、北海道だった。
「天陽くん」一家もそうだった「拓北農兵隊」とは
76年前の敗戦を挟み、「拓北農兵隊」などとして北海道の未開拓地に新天地を求めた戦災者がいたことをご存じでしょうか。 2019年に放送されたNHK連続テレビ小説「なつぞら」で、俳優吉沢亮さんが演じた青年画家・山田天陽のモデルとなった神田日勝も、その1人でした。
「来(きた)れ、沃土(よくど)北海道へ」
本土最終決戦に備えての食糧増産のため、国が6月から募集を始めた戦災者集団帰農事業のしおりには、そんな見出しが躍った。
「農耕に適する土地がたくさん残されている」「薪、木炭、石炭などが豊富で屋内では府県(本土)の冬に比べてしのぎやすいくらいである」ともあった。くわ・鎌など農具は無償で給与する、主食糧は配給する、移住後6カ月間は月に1人あたり30円(現在の6千円相当)程度の生活費を補助する――。そう、うたっていた。
当時の新聞も、「起上(たちあが)る『戦災屯田兵』 捨てよ都会生活の垢(あか)」「その名も『拓北農兵隊』 あす堂々と壮途に上る第一陣」「荒地拓(ひら)く北の精兵 悪田は稔(みの)り豚群も肥える」(朝日新聞)と書き立てた。
一家は、帯広駅前から農作物…