俵万智さん、歌壇の最高峰に サラダ記念日から35年

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聞き手・佐々波幸子
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角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢市)で開催中の展覧会場で、オブジェの前に立つ歌人の俵万智さん。〈万智ちゃんがほしいと言われ心だけついていきたい花いちもんめ〉は「サラダ記念日」に収められた一首=藤原伸雄撮影
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 軽やかな口語調で日常を詠(うた)い、短歌を身近な存在にしてきた歌人の俵万智さん(58)が、第6歌集「未来のサイズ」で歌壇の最高峰とされる迢空賞のほか、詩歌文学館賞も受賞した。280万部のベストセラーとなった第1歌集「サラダ記念日」から約35年。俵さんにとって、歌を作るとはどういうことなのか、これまでの歩みとともに聞いた。

たわら・まち 1962年、大阪府生まれ。86年、「八月の朝」で角川短歌賞。87年の「サラダ記念日」で現代歌人協会賞。子育ての日々を詠んだ「プーさんの鼻」で2006年に若山牧水賞。21年に「未来のサイズ」で迢空賞、詩歌文学館賞。

 ――7月下旬の迢空賞の授賞式で、「第1歌集が大ベストセラーになり、どんな歌を作っていても、『サラダ記念日』の俵万智と枕詞(まくらことば)付きで思われてしまうところからどう転身するか。難しいプロセスだったと思うけれど、今回の歌集は、見事にその転身を見せた」と講評されましたね。

 長い目で見守ってきていただいたんだな、と改めて思いました。たぶん私は、出てきた頃は、やっぱりある種の変わり種だったと思います。1986年に「八月の朝」という連作で角川短歌賞を受賞したんですが、その前年にも「野球ゲーム」という一連の歌で応募して。次席でしたが、〈「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの〉といった歌が活字になりました。

 ――この歌は、雑誌でずいぶん引用されたそうですね。

 短歌に商品名を入れたことが当時は珍しく、「表層的」という見方もあった。そうした前段があった上で、また応募したときに、「この人に賞を出そう」と決めてくださった。伝統ある世界だけれど懐が深いことを、初めの一歩を踏み出したときから感じていました。

 「サラダ記念日」がミリオンセラーになったときも、一番うれしかったのは、この歌集で翌年、現代歌人協会賞をいただいたこと。「地に足をつけてこれからもやっていくんだよ」って言われたような気がして、最も支えになりました。売れることに対してイロモノ扱いされることもあると聞くけれど、歌壇には作品として見守って育ててくれる空気感があって、そのおかげで道を踏み外さず、短歌の世界で生きてこられた。

 ――道を踏み外さず、ですか。

 当時、「サラダ記念日」で売れたこの人が30年後、どんな歌を詠んでいるか見ものだと、高みの見物を決め込んでいる方たちもいたわけですよ。でも、今回選評を寄せてくれた選考委員の4人の大先輩たちは、注文をつけるところはつけるし、足りないところは言ってくれ、懐深く見守ってくれた。自分が30年以上、頑張ってきたところを評価してもらえたのかな、という感慨があります。

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報道陣向けの内覧会で記者会見する俵万智さん=2021年7月20日、埼玉県所沢市、藤原伸雄撮影

 ――型や伝統のある詩形の強み、ということも俵さんは言っていますね。

 私ごときが、私らしさを全開にしたところで、三十一文字(みそひともじ)の定型はびくともしない。むしろ私は、この定型のおかげで遊んでいられる。デビューしたころ、歌壇の外にいる人たちからは「定型を壊そうとしてるんですか」「革命を起こそうとしてるんですか」と言われがちだったけれど、本当に短歌をわかっている人は、むしろ歓迎してくださる感じがあって。「変わり種」を見守る土壌があるからこそ、続いている詩形だとも思うんですよね。

 しかも、口語短歌について言えば、60年前後に隆盛した大きな流れの中から自分も生まれたわけですし。たとえば、早稲田大学時代からの恩師で結社誌「心の花」の師でもある佐佐木幸綱先生は、すでに60年代前半に〈なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は〉といった歌を詠んでいます。ずいぶん影響を受けました。

 ――佐佐木さんに俵さんについて尋ねたとき、「最初から短歌のリズムがちゃんと心の中にある人でした」と大学時代のことを振り返っていました。

 私は五七五七七という定型のリズムが大好きなので、このリズムから力をもらっているとすごく思いますね。詩を書く上では、言葉のリズムを味方にすることが一番の強みになりますし。

 ――「サラダ記念日」のころから、音数を調整するために、「我(われ)」と言ったり「吾(あ)」と言ったり、使い分けていたんですよね。

 それを最初に見抜いたのが、塚本邦雄さんでした。「吾」という万葉的な言い回しを使うのは、「全部リズムで使い分けてるんだよ」と。「あっ! 見抜かれてる」って思いました。「吾」を使っているときは、「われ」とは絶対読ませていないと。

 ――当時、批評精神がない、社会性が足りない、といった批判もありました。ご自身ではどう受け止めていましたか。

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