やけどにたかるハエ、息絶える人 語り始めた被爆の記憶

有料会員記事知る戦争

井上正一郎
[PR]

 「戦争のない世界への願いが伝わればいいなと思って話した」。大阪府富田林市に住む上本保彰(やすあき)さん(80)は、今月6日に市内の中学校で自らの被爆体験を初めて子どもたちに話した日のことをふり返った。76年が経っても頭から離れない出来事を証言したのは、過去の犠牲をちゃんと知って欲しい、その思いからだった。

 広島市中心部から約13キロ離れた広島県安佐郡戸山村(現在の広島市安佐南区沼田町)で生まれた。戦時中、兄は出征し、上本さんは、農業と林業を営む両親、祖母、姉5人の9人暮らしだった。

 1945年8月6日朝、家の裏にあった畑で、4歳だった上本さんは、両親と一緒に麻の刈り取り作業の手伝いをしていた。突然、ピカッと強烈な光で、視界が真っ白になり、何も見えなくなった。「怖くて、すぐそばにいたお母さんにしがみついた」。その直後、ドーンと地響きのような強烈な音が聞こえた。体が震えた。母も驚いていたが、すぐに上本さんの手を引いて、畑の横にあった防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。「母も怖い顔をしていたが、ずっと私の手を握ってくれていた。その母のありがたさを今でも感じている」。

 防空壕の中から、外にいた父をみると、父は手を腰にあて、じっと空を見ていた。「これはダメじゃの、こりゃダメじゃ」。父は2回つぶやいた。

 「広島の町が丸焼けかもしれ…

この記事は有料会員記事です。残り1025文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
知る戦争

知る戦争

平和への思いを若い世代へ託そうと、発信を続ける人がいます。原爆や戦争をテーマにした記事を集めた特集ページです。[記事一覧へ]