脱=私へ、田舎と都会の二項対立ではなく 斎藤幸平さん

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聞き手・田部愛、近藤康太郎
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 「気候変動を止めるには資本主義から転換するべきだ」と訴える著書「人新世の『資本論』」がベストセラーになっている。若き経済思想家・斎藤幸平さんは「〈私〉に制限をかける時期にきている」とまで言い切る。いわば「脱=私」の真意とは。(聞き手・田部愛、近藤康太郎)

 ――SDGsの考えが浸透し、「脱プラ生活」を実践しようとする人もいて、環境を意識した行動をする層は厚くなっています。斎藤さんは著書で「SDGsはアリバイ作り」「辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる大衆のアヘン」と厳しく批判していますね。

 私も脱プラ生活に短期間、挑戦したことがありますが、プラスチックを避けようとするとお金も時間もすごくかかるんですよね。子供のおむつにさえプラスチックは含まれていますから、完全な「脱プラ」を続けるのは現実的には無理。しかも個人の費やすエネルギーが大きいにもかかわらず、気候変動を止めるインパクトはほぼゼロです。

 むしろ、問題の根本は個人ではなく、大量生産・大量消費・大量廃棄のビジネスモデルを続けている企業や、それを許している政府にあります。ところが、企業はSDGsをマーケティングやPRの道具として使い、たいしてエコでもない商品を「環境にやさしい」といってたくさん買わせようとしている。エコだと言っておけば、消費者は罪悪感なしに買い物ができますからね。そういうSDGsの欺瞞(ぎまん)を指摘するために『人新世(ひとしんせい)の「資本論」』は、「SDGsは大衆のアヘンである」という一文から書き始めました。

 つまり私たちは、生活レベルの努力で「エコなことをやった」と自己満足したり、あるいは疲れてすり減ったりする前に、社会のシステムを変えることや、ルール作りを求めることに力を費やすべきなのです。

 ――今夏も世界は「危険な」暑さが続いています。気候変動の解決策には資本主義を転換するほかないという斎藤さんの主張は説得力がありますが、一方で、資本主義を終わらせるというイメージがまだうまくわかないんです。

 コモン(公)の領域を広げ、大きくなりすぎた「私」を縮小すると考えてみてください。例えばスペインバルセロナでは、賃貸物件を観光客向けの民泊に転用するともうかるので、賃貸に住む人を追い出す動きが活発化し、多くの市民は住む場所を失いました。いわば「私」の利益のための暴力です。そんな市場原理主義に怒った市民は左派市政を誕生させ、民泊の規制で「私」を縮小します。公営住宅の拡充も勝ち取りました。

 バルセロナでは、車の利用にも大胆に制限をかけて、歩行者エリアを増やし、路上で遊べて公園にもアクセスしやすく、子育てしやすい街を目指している。このスーパーブロックという施策は、道路をコモン化する試みだといっていいでしょう。自家用車という「私」を制限することで、大気という「公共」の汚染を減らし、同時に脱炭素化を目指せる。もちろん自家用車に代わる市民の足として、「公共」の交通機関を拡充しています。

 ――歴史的に見て、私有財産は中世の王侯貴族や領主から自由になるため生まれました。近代は自立した「個人」が社会の基礎です。「私」や「個」が確立されたからこそ、わたしたちは豊かになれたのではないですか。

 「私有」が社会の基本になっ…

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