「ここ知ってる?」我が子に尋ねた銀次 楽天一筋の理由

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 シーズンオフの時間に、車のハンドルを握って家族と外出した。行き先は、10年前の東日本大震災の爪痕が残る街だ。

 昨年12月。プロ野球楽天の銀次(ぎんじ)は、自宅から30分ほどかけて宮城県の沿岸部にある名取市閖上(ゆりあげ)地区に向かった。新鮮な海の幸が有名で、震災後に新しくできた公園や店を訪れた。

 食事をしたり、買い物をしたり。海岸の近くまで行き、外に出た。風は冷たく、吐く息も白い。そして子どもたちに話しかけた。

 「知ってる? ここは津波で全部流されたんだよ」

 閖上地区は津波にのみ込まれた。亡くなった名取市民は幼稚園児を含む923人。当時の気温は約5度だった。

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 銀次には3人の子どもがいる。長男は8歳、次男は5歳、末っ子の長女は3歳。ここまで家族と出かけた被災地は、気仙沼市石巻市、南三陸町など。時間があれば宮城県外にも足を運んだ。

 まだ我が子に深い話はしない。今も、どこまで理解しているかはわからない。でも、「どこか頭の片隅においてほしい。いつか、僕の言いたいことが伝わってくれるはず」。今季の開幕前に取材したとき、こう語っていた。

 岩手県普代村出身。楽天がプロ野球に参入した最初のシーズンが2005年。その年のドラフト会議で指名され、盛岡中央高から入団した。

 プロ入り後5年ほどは鳴かず飛ばず。「ただ、漠然と野球をやっていただけ」。自身の目的や将来がぼやけ始めていたその矢先、震災が起きた。

 当時はオープン戦の時期で、チームは関西に遠征していた。地震の範囲も、被害の規模も、何もわからない。「家族や親に連絡してほしいと球団に言われて。自分は連絡がついた」

 移動バスの中にあるテレビがつくと、ちょうど現地を中継する映像が流れた。津波は濁流となり、市街地を襲っていた。

 約1カ月後、楽天の選手たちは避難所を訪れた。「何してんのって思った人もいたでしょうね」。当時23歳。本拠地を東北に置くプロチームで、自身が働く意味を考えた。

 地震発生時、現地にいなかっ…

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