夢見る故郷の復興、卒業後は漁師に「甲子園で出し切る」

西晃奈
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 夏の甲子園盛岡大付の背番号11・阿部凜叶(りんと)投手(3年)は、高校で野球をやめると決めている。東日本大震災の津波で、養殖いかだや船を流されたのにもめげずに、漁師を続ける祖父と父の後を継ぐからだ。それまで一球でも多く野球を続けるため、練習に励んでいる。

 宮城県南三陸町出身の阿部君は震災当時、町立名足小学校の1年生だった。

 激しい揺れに襲われたときは校庭におり、すぐに目の前の海から津波が押し寄せた。先生に引率され高台へ、振り返ると津波が迫っていた。「もう少し遅かったら流されていた」。恐怖が心に刻まれた。

 津波は実家を押し流し、祖父と父がワカメやカキ、ホタテを育てていた養殖いかだと2隻の船も奪い去った。だが、2人は自らの手で倉庫を建て、網を作り直した。逆境にくじけない姿に打たれ、自分も漁師になる決意を固めた。

 野球は小学校に入ったときから始めていたが、中学でやめ水産系の高校に行くことも考えた。一方、プロ野球選手になる夢もあった。母から「漁師の修業は高校を出てからで遅くない」と諭された。

 「支えてくれた人に恩返しするには、甲子園に出るしかない」。そう考えていたとき、関口清治監督に会い、にじみ出る自信にひかれて盛岡大付を選んだ。

 しかし、高校に入ってからは故障に泣いた。そのため、変化球で勝負できるよう、授業中も黒板の字をノートに書き写すとき以外は球を握り、どうすればキレが増すか考え、その日の練習で試した。

 初めはエースの座をめざして努力を重ねたが、今春も右肩が痛みだし、思うように投げられなくなった。その座には、主に野手の練習をしていた渡辺翔真君(3年)が就いた。

 両親に電話で悩みを打ち明けると、「つらいことを乗り越えて強くなるんだよ」と返ってきた。その言葉に励まされて練習を続け、岩手大会ではベンチ入りメンバーに選ばれた。

 16日にあった鹿島学園(茨城)との初戦では九回表、伝令としてマウンドへ上がった。「次は投手としてあそこに立ちたい」。その思いを強くした。

 あこがれていた夢の舞台に、今はいる。プロ野球選手をめざすメンバーもいるが、漁師になり少しでも故郷の復興に役立ちたいとの思いは揺らいでいない。

 初戦の応援に甲子園に来てくれた父は、サンマ漁に出るため、2回戦からは来られない。「投げる姿を見せられず申し訳ない」と電話で伝えると、「ニュースか記事で見ているからな」と励まされた。

 「甲子園で今までのすべてを出し切る。その姿を見せることが、今まで自分を支えてくれた人に、一番喜んでもらえると思うから」(西晃奈)