祖父にもらった名に思いはせ 対馬丸沈没、語り継ぐ決意

有料会員記事

光墨祥吾
[PR]

 戦時中に学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に沈められ、1400人以上が犠牲になって22日で77年になる。今年、この沈没にまつわる講話を始めた男性がいる。祖父から授かった自分の名前の意味に思いをはせ、悲劇を伝える使命感を持った。

 6月22日、沖縄県浦添市の新里清明さん(36)は、母校の中学校の一室にいた。翌日は沖縄の「慰霊の日」。知り合いだった中学の校長から、平和学習をしてほしいと打診があった。

 タブレット端末で撮影された清明さんの姿が、それぞれの教室のテレビ画面に映し出される。「受け継がれた命を大事に。誇りを持ってほしい」。そう語り、祖父と、自分の名前の話を始めた。

 清明さんの祖父、新里清篤(せいとく)さんは35歳のとき、母と妊娠中の妻、子ども3人を対馬丸事件で亡くした。対馬丸は1944年8月22日、那覇港から長崎に向かう途中、鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈された。

 戦後は、対馬丸遭難者遺族会の会長を務めた。生存者の証言や記録を集めた本「あゝ学童疎開船対馬丸」を著し、対馬丸記念館(那覇市)設立の際にも重宝された。

 しかし、後妻らに対馬丸のことを話すことはなかった。清明さんも遺族であることを聞かされないまま、小学生のとき、清篤さんは86歳で亡くなった。

 清明さんはロンドンで芸術を学んだ後、30歳のとき、ジュエリー店を浦添市で開いた。沖縄の歴史や自分のルーツを学ぶうちに、祖父は対馬丸事件の遺族で、戦後、事件を伝え続けていたことを知った。

 2014年、那覇市の神社に行った帰り、近くにあった対馬丸の慰霊碑「小桜の塔」に家族で立ち寄った。

 亡くなった祖父の3人の子の…

この記事は有料会員記事です。残り427文字有料会員になると続きをお読みいただけます。