難病の球児、ベンチ入りして甲子園へ 「チームに必要」

寺島笑花
[PR]

(22日、高校野球選手権大会 神戸国際大付4-3高川学園)

 全国高校野球選手権大会の22日の第2試合で、高川学園(山口)の高橋柊斗(しゅうと)君(3年)は三塁ベンチ近くに座っていた。難病で利き腕の力が十分入らなくなってからも「チームに必要な存在」。この日、ボールボーイとしてチームメートのプレーを見つめた。

 小学2年で野球を始めた。中学のクラブチームのコーチに憧れ、母校の高川学園に進んだ。制球の良い右投げ投手。スライダーやカットボールなど6種類の変化球を操った。部員72人の同校で昨秋、初めて背番号をもらった。

 その直後、右ひじに痛みが出た。我慢しながら練習を続けたが、県大会が終わった9月末、右腕全体の感覚が鈍くなった。

 整形外科整骨院に通ったが、良くならない。10月、捕手のサインに応じて握りを変えようとボールに右手を滑らせた時、縫い目が分からなかった。「これはおかしい」。茨城県の実家に戻り、検査を受けた。

 難病の「脊髄(せきずい)空洞症」と診断された。脊髄に液体がたまり神経症状や全身症状を引き起こす。患者は国内に2500人ほどいるとされ、症状が改善するのはまれで、力んで悪化する場合もある。「進行すれば車いすになることもある。野球を続けるのは厳しい」。医師の言葉に、頭が真っ白になった。

 「人生は野球だけじゃない。自分の体を大切にしてほしい」と、母の由美さん(39)。野球のない生活は考えたこともなかった。どうしていいのか分からなくなった時、父の亮さん(39)に言われた。「お前の人生だ。好きなようにやったらいい」。気持ちが固まった。右手の感覚が戻らなくても進行を遅らせる手術を受けて、野球を続けようと決めた。

 手術を翌日に控えた3月21日。チームメートから動画が届いた。6分ほどの動画は部員全員が登場し、黒板に大きく「頑張れ」と書いてくれたり、大声でエールを送ってくれたり。「絶対に行動で返したい」。病院で涙があふれた。

 練習に戻ったのは5月。手に力は入っても細かく指を動かすことはできないままで、持ち味の制球と変化球は戻らなかった。それでも、練習では誰よりも早くグラウンドに出て準備をし、仲間の打撃練習のために球を投げ続けた。練習後は毎日、率先してごみを拾った。

 「高橋が必要なんです」。甲子園出場をかけた山口大会が迫ると、中堅手の中村賢紳君(3年)が西岡大輔コーチ(27)に伝えた。いつも最初にグラウンドを整備し、練習中は声でチームを盛り上げる高橋君の姿を見て「ベンチにいてほしいと思った」という。

 「チームにとって必要な人間」と、松本祐一郎監督(34)。山口大会で背番号18をつけ、走者が本塁を狙う際などの大切な判断を担う三塁コーチとしてグラウンドに立ち、ベンチでは選手の飲み物やタオル、ヘルメットを整理するなどして支えた。

 甲子園ではベンチ入りが20人から18人に減り、高橋君は外れた。投手として一緒にトレーニングを続けてきた河野颯君(3年)は「内心は苦しいはずなのに、それを出さずにチームのために動いている姿を見ると、恩返ししなければと思う。力になっている」。

 高橋君は「ショックで、悔しさはあった」。それでも、この日はボールボーイとしてファウルボールを拾いに走るなど試合の運営に貢献し、誰よりも近くで仲間のプレーを見守った。「プレーだけが野球じゃない。置かれた立場によってやることはいっぱいある」。甲子園でも最後まで、その思いを体現した。(寺島笑花)