「甲子園で決勝」訴えた女子選手 中学時代の夢は現実に

山口史朗
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 全国高校女子硬式野球選手権の決勝が23日、初めて阪神甲子園球場で開催された。

 「女子にも光を」との思いで中学時代から行動し続けたある選手の思いが、開催への一つのきっかけとなった。そしてその選手はエースとして大会を勝ち抜き、夢の舞台にたどりついた。

 神戸弘陵の右腕、島野愛友利(あゆり)(3年)が一躍注目を浴びたのは、2018年。中学3年生の夏だった。

 硬式のクラブチーム「大淀ボーイズ」(大阪市)で男子にまじり、白球を追いかけた中学3年間。最速120キロ超。最後はエースの座を勝ち取り、中学硬式の最高峰といわれる「ジャイアンツカップ」で優勝投手となった。

 「男子に勝った女子のエース」。そんな肩書で、メディアからの取材依頼が殺到した。授業の合間を縫ってのテレビ出演。ただ、彼女は有名になりたいわけではなかった。

 兄ふたりは大淀ボーイズから大阪桐蔭、履正社に進み、いずれも甲子園出場を経験した。

 同じように小学生から頑張ってきたのに、自分には兄と同じ「甲子園」がない。神戸弘陵の女子野球部に入ると決めたときも、そんなやりきれなさを抱えたままだった。

 「タレントになりたいわけじゃない」

 「女子野球の知名度を高めたい」

 「女子にも甲子園のような大会がほしい」

 高校1年になった島野のそんな訴えが新聞記事になった。

 2019年4月19日、日本高校野球連盟の当時の事務局長、竹中雅彦さんがそれを読んだ。

 竹中さんが事務局長に就いたのは13年。競技人口の減少など、野球界の未来に強い危機感を持っていた。記事を読み、この日にあった日本高野連と甲子園球場などとの会議の終わりに、発言した。

 「個人的な考えではありますが、男子の休養日を利用して、女子の決勝を開催できないか」

 他者の意見を柔軟に採り入れながら運営にあたってきた竹中さんらしい素早い反応だった。

 竹中さんはその年の10月、間質性肺炎で急逝した。まだ64歳だった。その思いは引き継がれ、今年4月、女子決勝の甲子園開催が正式に発表された。

 島野は高校で投球フォームに悩みながらも、少しずつレベルアップしてきた。技術だけでなく、トレーニング法やサプリの摂取の仕方。最新の知識も勉強し続けてきた。

 甲子園に立てるのは2校だけ。甲子園開催が決まった後はさらに取材や番組出演の依頼も増え、プレッシャーも大きくなった。

 8月1日の準決勝で京都両洋に2―1で逆転勝ちすると、大粒の涙を流して泣きじゃくった。

 母の英佳さんは「勝って泣いたあゆを見たことはほとんどない。色んな思いを背負って必死にやってきて。喜びとか安堵(あんど)とか、感情があふれたんやと思います」と語った。

 決勝は神戸弘陵が4-0とリードして迎えた七回、島野が三者凡退に抑えて優勝を決めた。自らが切り開いた歴史に残るマウンドに、島野がいた。山口史朗