ワクチンの泥縄 供給軽んじた戦時の過ち繰り返すのか

有料会員記事

編集委員 駒野剛
[PR]

記者コラム「多事奏論

 JR京葉線稲毛海岸駅から歩いて10分ほど行くと千葉市の高洲スポーツセンターに着く。場内にはバスケットボールなどができる体育館やプールが設置されている。

 入り口の横、4畳半ほどの一角に、およそスポーツと関係がない機材が展示してある。船のかじや羅針儀、伝声管、風向計。そして写真が掲げてある。旧海軍の海防艦「志賀」だった船のもので、機材は1998年に解体されたこの船の設備なのだ。

 海防艦は北洋漁業保護を目的に、太平洋戦争の開戦時、4隻保有されていた。その後、日本が侵略した東南アジアなどの石油やボーキサイト、鉄鉱石といった資源を日本本土に運ぶ商船を、米国などの潜水艦や航空機からの攻撃から守ることにも使うようになり、大量に建造された。

 「志賀」もその1隻で、戦争末期の45(昭和20)年3月、長崎県佐世保海軍工廠(こうしょう)で完工、対馬海峡方面の対潜水艦防備に投入され、戦後は海上保安庁の練習船などに使われた。そして最後はスポーツセンターのある地で公民館として利用された。

 「志賀」のような海防艦は戦中から敗戦にかけて約170隻が建造されたが、半数が失われた。製造工程を簡略化して完工を早めた半面、速度が遅く、レーダーなどの探知装置も乏しく、襲ってくる潜水艦や航空機の餌食になる艦艇も多かったのだ。

 商船防衛は、当初、ほとんど重要視されなかった。しかし米国との消耗戦になって資源供給が重要視され始め、これらの海防艦を指揮する海上護衛総司令部が開戦2年後43年11月に発足する泥縄ぶりだった。

 なぜか。日本には、そもそも商船防衛という発想が乏しかったからだ。

 ドイツの潜水艦Uボートに苦…

この記事は有料会員記事です。残り892文字有料会員になると続きをお読みいただけます。