言葉の空虚化を止めさせよう 百木漠・関西大准教授

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 広島の平和記念式典での菅義偉首相による「原稿読み飛ばし」事件は前代未聞の出来事であった。あろうことか、「唯一の戦争被爆国」や「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力」などと書かれた箇所を読み飛ばしたというのだから絶句する。原爆投下に対する真摯(しんし)な想(おも)いがあれば、そして事前のきちんとした準備があれば、必ず途中で間違いに気づくはずである。この読み飛ばしは、菅首相がいかに言葉というものを軽んじているかを示す、象徴的な失態であったように思う。

 安倍前政権での官房長官時代から菅氏は、国会や記者会見などで厳しい質問をされても、「そのような指摘は当たらない」とだけ答えて済ませるという場面がたびたび見られた。そこには相手からの問いかけに真摯に答えるという態度が明らかに欠けていた。言葉を用いて他者とコミュニケーションするという人間にとっての基本的な行為が、政治の表舞台でないがしろにされてきたのだ。

 東京五輪開催にあたっても、菅首相は「安心・安全の大会を目指す」と宣言したが、現状で五輪を開催すれば、コロナ感染が拡大するのは誰の目にも明らかだった。それでも菅首相は五輪開催と感染拡大は無関係との趣旨の発言を続けた。ここにもその言葉の空虚さを感じざるをえない。そこには現実を直視しない、形式的な文言が並んでいるだけであり、魂のこもった重みのある言葉は存在しない。

 こうした「言葉の軽視」は…

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