段差あってもバリアフリー パラレジェンドが願う社会

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波戸健一
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 初めて出場した1996年パラリンピック・アトランタ大会。成田真由美(50)は、開会式で見た光景を忘れられない。

 様々な障害を抱えながら生き生きと行進する選手たち。迎え入れる壮大なスタジアムと大歓声。「この世界に自分も生きている」。涙が止まらなかった。

 あれから25年。パラリンピックという言葉が、東京招致をきっかけに広く浸透した。東京大会の日本選手は、当時の81人の3倍を超える254人が出場する。

 小さい頃は走るのが好きだった。右ひざが気になりはじめたのは、バスケットボール部に入った中学1年の春。痛みが両足に広がり下半身を動かせなくなった。横断性脊髄(せきずい)炎と診断され、青春時代の長い時間を小児科病棟で過ごした。

 23歳で水泳と出会う。2004年アテネ大会までで通算15個の金メダルをつかみ、「水の女王」と呼ばれた。08年北京大会を区切りに一度は引退した。

 その後、東京大会の招致委員…

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