東日本勢、甲子園8強入り逃す コロナ禍での選手の思い

玉木祥子、高億翔
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 25日までに東日本勢がすべて敗退し、ベスト8入りはならなかった。関東勢(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨)が準々決勝に進めなかったのは、1981年の第63回大会以来40年ぶり。コロナ禍で行われた今大会。選手たちは特別な思いを持って戦った。

 日本航空(山梨)は6月に校内で新型コロナウイルスクラスター(感染者集団)が起き、運動部の多くが高校総体(インターハイ)に出場できなかった。 「悔いのないように全力で楽しんで」「野球部の歴史、塗り替えてこい!」。山梨大会決勝の前日の7月22日。野球部員のスマートフォンに、運動部の3年生たちが作った動画メッセージが届けられた。バスケ、バレー、空手道……。各部が約10秒ごとに出演。クラスターの影響で各大会に出られなかった分、「自分たちの分もがんばってほしい」という思いを込めた。

 野球部も山梨大会の開幕直前まで全体練習ができず、「ぶっつけ本番」で臨んだ。「コロナを言い訳にしない」と奮起した選手たちを、サプライズの贈り物が後押しした。

 そして13年ぶりに達成した甲子園出場。「仲間を思い、全力でがんばります」。7月末に行われた壮行会で、久次米陸士主将(3年)は選手の思いを代表して述べた。

 25日、チームは智弁学園(奈良)に敗退したが、地元で観戦した女子バスケ部の荒井しおん部長(3年)は「得点されても下を向かずに頑張る姿。私たちの悔しさを晴らそうとしてくれているのが伝わってきた。私たちは冬の大会で引退なので、大会で上位をめざして、恩返ししたい」。久次米陸士主将(3年)は「すべての力を出し切った。ここで負けてしまったが、『仲間の分も』という思いで全力でプレーすることはできたと思う」と話した。

 甲子園での1、2回戦には運動部員たちも大勢スタンドに駆けつけたが、その後は来場者が制限され、25日はごく一部の保護者らだけが応援した。

 松商学園(長野)の4番で一塁手の斎藤優也君(3年)は今春から、守備につく際に右翼席とグラウンドへの「二礼」を続けてきた。応援してくれる人たちに、そして野球ができることへの感謝を込めた。

 夏の甲子園大会が中止された1年前。ショックで黙り込む先輩たちの姿が目に焼き付いている。自身も右ひざを大けがし、野球ができない日々が続いた。

 25日も斎藤君は二礼を欠かさなかった。明徳義塾(高知)に敗退したが、「勝って恩返しはできなかったけど、礼を通じて感謝の気持ちを伝えられたと思う。けがで諦めそうになったこともあったけど、乗り越えて成長できました」と話した。(玉木祥子、高億翔)