映画「ドライブ・マイ・カー」を読み解く三つの切り口
カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が公開中だ。村上春樹の短編小説を原作に、舞台俳優で演出家の家福(かふく)悠介(西島秀俊)が喪失を抱えながら、愛車のドライバー渡利みさき(三浦透子)らと過ごす中で再生していく物語。鑑賞した3人に語ってもらった。
人が交わる時間描くオペラ 粟国淳さん(オペラ演出家)
静かに過ぎる約3時間を、全く長いと感じませんでした。僕の中で濱口監督が、ドライバーのみさきに重なったのです。運転のうまいみさきが、どこでギアチェンジをしたかを乗っている人に気付かせないように、濱口監督も観客の心を揺さぶったり共感を押しつけたりしない。同じ時間をともに過ごしながら、人が他者を、自分を受け入れる過程を、淡々と描いてゆく。
ストーリーではなく、虚構と現実をスライドする村上作品特有の浮遊感も、絶妙にトレースされています。僕も11年前に「パン屋再襲撃」をオペラにしたのですが、彼の文章って、たとえば真夜中に家の近くを散歩していて、街灯はついてるのに誰も歩いてなくて、そんな時ふっと非現実の空間へ飛んじゃう……みたいな感覚があって。
劇中のチェーホフの芝居で、役者ごとに異なる言語を使わせるのも多様性の巧みな表現ですね。村上さんの文もイタリア語で読むとアクリル系の赤黄緑みたいな感じに、日本語だとエネルギッシュな墨絵みたいに、僕の心には響きます。主人公の家福は台本の下読みで、感情を入れないよう皆に命じる。意味よりも音としての言葉の手触りがクローズアップされ、出自の異なる人々の核心が交わり始めるさまは、まさにオペラです。人間同士が真のアンサンブルを奏で始めるまでの時間の貴さを、この映画は描いているのです。(構成=編集委員・吉田純子)
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あぐに・じゅん 今秋、新国立劇場で「チェネレントラ」を演出。
並んで走り、共鳴し合う関係 伊藤亜紗さん(美学者)
この映画では「並行関係」が多く描かれます。車では運転する人と乗っている人、バーでも向かい合うのではなく横に座る。家福とみさきが車の中でたばこを吸い、その手をサンルーフから出して並べるシーンは、手をつないでいるようで美しかったです。家福が妻に対して抱えている問題と、みさきが母親に対して抱えている問題、罪の意識のようなものが、全然違う話だけどシンクロし、共鳴して変化が起こっていく。
記事の後半では映画研究者の三浦哲哉さんが、濱口監督作品の集大成という視点から語ります。
互いに向き合う対話だと、伝…