東京パラ、自己責任社会で問われる意味 渡辺一史さん 

有料会員記事

[PR]

 熱戦が続く東京パラリンピック。アスリートたちの身体能力の輝き、不屈の精神力に励まされる人も多いだろう。ただ、障害福祉の現場を長年取材してきたノンフィクションライターの渡辺一史さんは、祭典の意義を認めつつも、「あまり関心が持てないできた」と明かす。その複雑な胸のうちを、寄稿してもらった。

 わたなべ・かずふみ 1968年生まれ。重度身体障害者とボランティアの奮闘を描いた『こんな夜更けにバナナかよ』で大宅壮一ノンフィクション賞。他の著書に『なぜ人と人は支え合うのか』。相模原障害者殺傷事件の取材を続け、月刊誌などに発表している。

 私は2003年に『こんな夜更けにバナナかよ』という本を書いて以来、20年近く福祉や障害の現場を取材してきた。しかし、パラリンピックにはあまり興味を抱けずにいる一人だ。

 障害のある友人たちに尋ねても、「パラリンピックが『障害者=弱者』というイメージを変えてくれた」など、肯定的な意見がある一方で、冷ややかな障害当事者も少なくない。

 「パラスポーツの源流は、もともと障害者のリハビリや社会参加にあり、いまだに『スポーツ』なのか『福祉』なのかあいまい」

 「一握りの才能ある障害者のための舞台」であり、彼らを称賛すること自体はすばらしいが、「障害を克服し、頑張る人たちを応援すべきという押しつけがましさを感じる」……。そんな声も聞かれた。

 私はロンドン大会が行われた…

この記事は有料会員記事です。残り987文字有料会員になると続きをお読みいただけます。