「スーパーマン」だった父、あの日もそうだった また9・11が来る

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米ニューヨーク州ウィリストンパーク=藤原学思
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 さびついた手錠と、溶けて一部しか残らなかった拳銃が、父の遺品になった。遺体は見つからなかった。

 警察官の父は、まるで「スーパーマン」だった。身長は190センチ。忍耐強く、賢く、曲がったことが大嫌い。助けを求めるひとがいれば、いつだって喜んで駆けつけた。

 あの日もそうだった。家族になにも告げないまま、現場に出向き、亡くなった。その後、「ヒーロー」と呼ばれるようになった。

 39歳の父を奪った米同時多発テロから、20年。32歳になった娘は憤っている。「父の死は、さらにたくさんの人の死をうむ戦争に利用された。この20年はなんだったんだ」と。

信じていた父の生還

 

 2001年9月11日、ケイトリン・ランゴーンさんはまだ12歳で、米ニューヨーク郊外に住む中学1年生だった。

 午前9時ごろ、2時間目の生物の授業中、プリントを手にした校長が教室に入ってきて、教員と話し始めた。まもなく、世界貿易センター(WTC)ビルに飛行機が突っ込んだと知らされた。

 同級生の少女がうろたえていた。彼女の父はまさにそのビルで働いていて、ランゴーンさんはこう声をかけた。「心配しないで。私のパパみたいな人たちが、きっと助けてくれる」

 ランゴーンさんの父、トーマスさんは、ニューヨーク市警の緊急出動部隊に所属していた。世界トップクラスの救助隊で、近所ではボランティアの消防隊員としても活躍した。

 1990年のアビアンカ航空機墜落事故も、93年のWTC爆破事件も、95年のオクラホマシティー連邦政府庁舎爆破事件だって、父は現地に赴いた。

 今回の現場にも行っているはずだ。「大丈夫、大丈夫」。ランゴーンさんは学校で、自らにも言い聞かせるように、友人に何度もそう告げた。

 午後に家に戻ってテレビを付…

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