会社員辞めてプロに パラ先駆者、意地の跳躍で記録更新

榊原一生
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 「プロパラアスリート」

 自分の職業は、講演会ではこう紹介される。

 28日の東京パラリンピック陸上男子走り幅跳び(義足・機能障害T63)で、前回のリオデジャネイロ大会銀メダルの山本篤(39)は4位に終わった。表彰台まであと32センチ。それでも5回目の跳躍で自身の持つ日本記録を5センチ更新する6メートル75をマークした。「自己ベストができたのはまだまだ伸びるということ。メダルが取れなかったのはふがいないが、成長は見せられた」

 9年間勤めた自動車販売会社を飛び出したのは2017年だった。「練習、競技環境は恵まれていた。でも会社員を辞めてプロになる、パラでもそんな道があることを示したかった」

 所属先の太陽光発電システム販売会社「新日本住設」には、生活費と競技活動費を合わせて年俸1500万円をお願いした。すると、年俸に加えて「パフォーマンスボーナス」という出来高契約の逆提示を受けた。パラリンピックで金メダル3千万円、銀1千万円、銅500万円――。「僕をアスリートとして見てくれたことがうれしい。実績を積み上げれば、お金は稼げる」。覚悟を持って競技人生を歩む。「パラの顔」として障害のある子どもたちに夢を与える。決意を固くした。

 パラ界の先駆者だ。高校2年だった2000年、バイク事故で左太ももを切断した。08年北京パラリンピックで義足の陸上選手として日本初のメダリストに。大阪体育大大学院で運動力学を研究し、義肢装具士の国家資格も持つ。「走る研究者」とも呼ばれる。18年にはスノーボード平昌パラリンピックにも出場した。

 「プロって僕が思うのは、一番は影響力をもって行動できる人、そしてそれを発信できる人」。ボーナスは受け取れない。だが、10月には大阪で義足の走り方などを指導するアカデミーを開催予定だ。山本は言った。「大会を見て義足をつけて走りたくなった人たちの受け皿をつくりたい。競技の裾野を広げ、競技者も支援していく」。歩みを止めるつもりはない。(榊原一生)