メダルに縁のなかった競技人生 谷真海「幸せだった」

榊原一生
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 メダルに届かないことは分かっていた。それでも、東京パラリンピックに出場する意味を見いだし、泳ぎ、自転車をこぎ、走った。29日、最下位の10位でゴールしたトライアスロン女子(立位)の谷真海(39)=サントリー=の思いは一つだった。

 「一歩前に進もう、できないと諦めていたことに挑戦しよう。見てくれた人にそう感じてもらえたら」

 2013年9月、国際オリンピック委員会総会。大会招致をめざす東京の最終プレゼンターの一人として「スポーツの力」を涙ながらに訴えた。14年に結婚、15年に長男が誕生。大会には裏方で参加する考えだった。ただ、選手としての思いが捨てきれなかった。17年、陸上走り幅跳びからトライアスロンに転向した。

 待っていたのは苦難だった。一時は自身の障害クラスが本番で行われないことになり、大会延期も決まった。体は毎日の練習に耐えるのがやっと。第2子のことも念頭にあった。「延期ならもうやらない」

 家族はそっと見守ってくれた。コロナ禍で長引く自粛生活の中、改めて自分と向き合った。大学時代に骨肉腫で右足を切断した時、東日本大震災で実家のある故郷が被災した時……。人生の節目では、スポーツに救われた自分がいた。

 招致プレゼンから8年。なんとか出場権を獲得し、東京大会で日本選手団の旗手に抜擢(ばってき)された。「スポーツの価値を見失いそうになることもあった。でも、五輪でその力を証明してくれた。次は私たちパラリンピアンが受け継ぐ番です」

 この日、トップから10分以上離されても前を追い続けた。04年のアテネから始まったパラリンピック人生。「メダルには縁がなかったけど、自分の中では大きな宝物。多くの支えがあってゴールにたどり着けた。この場に立てて幸せだった」(榊原一生)