スポーツコンサルタントが語る五輪・パラリンピックとビジネスの未来

聞き手・野村周平
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 1998年長野冬季五輪から国際的なスポーツイベントのビジネスに関わってきたコンサルタントの高橋オリバーさん(51)は2019年3月、自損事故で視力を失った。障害者の立場で初めて、東京オリンピック(五輪)・パラリンピックを迎えた。パラの可能性を感じつつ、大会後にスポーツ側が明確な将来像を示す必要性を訴える。

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 国際オリンピック委員会の最高位パートナーであるコカ・コーラで東京大会のゼネラルマネジャーを務めていた2年前、会場視察のため車を運転していたら突如目がぼやけ、意識を失った。ブレーキとアクセルを踏み間違えたようで、壁に衝突。エアバッグの衝撃が原因で失明した。ショックだった。他の人を傷つけなかったのは、不幸中の幸いだった。

 3カ月後に出社。最初は腫れ物に触るように扱われていると感じた。会議に出ても、目の前が真っ暗で資料の数字が頭に入ってこない。話に集中できなくて、眠くなってしまう。普段はウジウジ考えない性格だけど、焦りは募った。

 ある会議で、社長が「オリバーの立場になってみよう」と全員にアイマスクを配った。僕の世界を共有してくれた。うれしかった。僕も周りも、障害に慣れる時間が必要だった。僕が困っている時は、自然に同僚が声をかけてくれるようになった。

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 今はフリーのスポーツコンサルタントをしている。東京パラはもっぱらテレビで解説を聞きながら楽しんでいる。クラス分けの複雑さなど分かりづらい部分はあるけど、この20年ほどで見て楽しめるスポーツになった。選手のプレーの質の向上が最大の要因だろう。

 今後もパラスポーツを持続的に発展させるには、選手たちのサポート環境や、僕も含む障害者がもっとスポーツに親しめる環境を整備することが大切になる。

 ある車いすテニスの女子選手と話したら、彼女は何から何まで全部1人でやるようだ。スーツケースの上に競技用車いすのタイヤなどを置いて、前が見えない状態で移動する。健常者の選手ならあり得ないけど「私たちにとっては当たり前」と言う。彼女だけじゃないけど、必要なところにお金や人のサポートが届くようになればいいと思う。

 そのためには、東京大会を応援してくれた企業を中心に、協賛社が支えたくなるようなスポーツ界にしないと。よく競技団体から「東京大会の後は国の補助金が減って強化費が削られる」と相談されるけど、それなら、どんな未来を展望し、社会のためにそのスポーツは何ができるかを示さないと、投資する企業も減ってしまう。

 鉄は熱いうちに打て、じゃないけど、特に日本オリンピック委員会(JOC)や日本パラリンピック委員会(JPC)は、企業にスポーツへの前向きな感情があるうちに積極的な対話をしなければいけない。残念ながら一般市民には、スポーツ界がこの先何を目指すかが聞こえてこない。メダル獲得の先にあるものを示してほしい。

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 僕はゴルフが好きだけど、目が見えなくなってやめていた。そうしたら、プロゴルファーの友人に誘われ、練習場で打ったら意外とできた。でも、いくつかのゴルフ場に「視覚障害者がカートで事故を起こしたら困る」と断られた。結局、友人が手配してくれたゴルフ場でプレーしたら120台のスコアが出た。目の見えない自分がスポーツを楽しむ難しさと同時に、「好きなことをあきらめる必要はない」と確信した。

 僕は小4から水泳をやっていた。仕事を始めてからはジムで泳ぐ程度だったけど、先日、当時のコーチから電話があった。

 「パラ水泳の男子400メートル自由形の優勝記録は4分28秒。お前の現役時代のベストはもっと速かった。目が見えなくなったのは何かの運命。一緒にパラリンピックを目指そう」と。

 僕は「もう30年以上前の話ですよ」と笑ったけど、テレビを見れば、僕より年配でパラに出ている選手は大勢いた。全盲でまっすぐ泳ぐことは難しい。今さら練習を積むことだってきついと思う。でも、たとえパラに出られなくても、無駄ではない気はしている。このポッコリしたおなかを解消するだけでも、意味があるしね。

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 スポーツビジネスをやる人間として夢がある。いつか五輪もパラも、知的障害の選手が集うスペシャルオリンピックスも、全部一緒にした大会をやりたい。

 オリ・パラ両方に出ている選手がいる。性別変更して五輪に出た選手もいる。今までの概念で区別する必要がない時代がくると思う。僕が生きている間かどうかは分からないけど。

 手始めに、たとえば柔道の全日本選手権と一緒にパラ柔道の日本一を決める大会をやるのはどうか。そういう健全な社会のあり方を示す力がスポーツにはある。そうなればパラスポーツの収益性も高まると思う。(聞き手・野村周平)

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 たかはし・おりばー スポーツコンサルタント。51歳。ケルン体育大で柔道を教えていた日本人の父と、ドイツ人の母の間にドイツで生まれる。リーボックで長野五輪に関わり、その後国際サッカー連盟やナイキ、コカ・コーラなど様々な立場でスポーツビジネスに関わってきた。