中国共産党は早稲田にゆかり? 消えた先駆者たちの秘史

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上海=冨名腰隆
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 北京の中心・天安門の前を通り過ぎるたびに、毛沢東の肖像画が目に入る。1949年、この門の楼上で中華人民共和国の建国を宣言した毛は、「建国の父」と呼ばれる。

 だが毛は、中国共産党の「建党の父」とは言われない。1921年の第1回党大会に参加はしたが、湖南省長沙から駆けつけた「脇役」に過ぎなかった。翌年の第2回党大会には出席していない。

 後年、毛は「参加したいと思ったが、場所を忘れてしまった」と回想している。

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 草創期の共産党を率いたのは、陳独秀と李大釗という2人のリーダーである。彼らについては後述するが、2人を含む当時の若い党員に大きな影響を与えた国は、日本だった。

 毛がこの系譜に属さないため中国でも目立たない歴史ではあるが、結党100年に沸くいま、原点の地を歩いてみることにした。

 最初の共産党大会が開かれたのは、上海のフランス租界にある石庫門建築の住居だ。現在、辺り一帯は再開発が進み、一流ブランドのアンテナショップや高級レストランが集まる観光スポットになっている。

 第1回党大会については当初から記録が少なく、参加人数や議論の内容などにあいまいな部分が多い。建国後の50年代になってロシア語の資料が見つかり、ようやく場所と「7月23日開会」という日時が特定された。

 出席者の一人である毛は「7月のいつか」としか覚えておらず、その記憶に従って30年代には7月1日が党創立記念日になった。いまも記念日は1日のままである。

「裏切り者」に再び光

 謎の多い第1回党大会だが…

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